【イニシェリン島の精霊】不条理との戦い方

他者のことも尊重する、「知性」という武器

パードリックにとって、どんなに手を尽くしても親友との関係を修復できないことは、納得のいかない悲しくて不条理なことである。一方、コルムにとっても、何も起きない、何も変わらない、閉鎖的な島に生まれたことは、受け止めきれない不条理だったのだろう。なんとか彼らが傷つけ合わず、尊重し合える方法はなかったのだろうか。

と、ここまで考えて、あることに気がついた。この物語には、誰かを傷つけることなく、この不条理と付き合うのをやめた登場人物がいたことを。パードリックの妹、シボーンである。

彼女は、閉鎖的なイニシェリン島で暮らしながらも絶えず本を読み、知性を磨き続けた。兄が退屈な人間であると認識しながらも、決して見放すことなく、愛情をもって接していた。

パードリックとコルムの狂気的な争いに絶えきれなくなったシボーンは、島から出ることを決意する。誰かを傷つけるわけではなく、この環境から距離を置く。そのやり方には好感が持てた。彼女は、自分を大切にしながらも他者のことも尊重する「知性」という武器で、不条理と戦っていたのだ。

作中でもコルムよりシボーンのほうが、知性が高いことを示すシーンがある。もしも、コルムにシボーンのような知性があったならば。パードリックを傷つけることなく、自分のやりたいことを実現することができたのかもしれない。

確かに、世の中はどうしようもない不条理なことだらけだ。時に、小さな希望さえ見当たらない現実もある。そういう時、せめて人の人生を傷つけることなく生き抜いていくために、私たちは知性を磨く必要があるのだろう。

そして、それは本作が示すとおり、個人的な人間関係だけでなく、戦争や地域間の分断についても言えること。自分の半径3mの人間関係には、日本から遠い国で起きる非情な戦いと同じ問題がひそんでいることもあるのだ。

鑑賞直後から変わらず、今も「イニシェリン島の精霊」を観て後悔している気持ちは、すこしだけある。観なければ、こんな気持ちにさいなまれることもなかったのに、と。けれども、作品を考えていくうちに、この気持ちは知らなくてはいけなかった、知ってよかったものだとも思えてきた。相反することを言っているけれど、これが本作に対する私の正直な感想である。 知らなかった。知りたくなかった。でも知ってよかった。そんなものに予期せず出会ってしまうのが、映画というものなのかもしれない。そう私に気づかせてくれた作品 だった。

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■イニシェリン島の精霊(原題:The Banshees of Inisherin)
監督:マーティン・マクドナー
プロデューサー:グレアム・ブロードベント、ピート・チャーニン、マーティン・マクドナー
脚本:マーティン・マクドナー
撮影:ベン・デイヴィス、B.S.C.
美術:マーク・ティルデスリー
音楽:カーター・バーウェル
出演:コリン・ファレル、ブレンダン・グリーソン、ケリー・コンドン、バリー・コーガン、ゲイリー・ライドン、シーラ・フリットンほか
配給:ディズニー

(イラスト:Yuri Sung Illustration

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東京在住。コピーライター。好きな映画は「ファミリー・ゲーム/双子の天使」「魔女の宅急便」。