【ある男】謎の解けないミステリー

決して、すべては明らかにならない謎

本作は、平野啓一郎氏の小説『ある男』を映画化したヒューマンミステリーだ。

離婚後、子どもを連れて故郷に戻った里枝は、営んでいる文具店で出会った大祐と再婚。幸せな家庭を築くも、大祐を不慮の事故により亡くしてしまう。長年疎遠だった大祐の兄が一周忌に訪れるが、なんと遺影を見て「これ、大祐じゃないです」と言うのだ。愛したはずの夫は、誰だったのか。里枝からの依頼を受け、弁護士の城戸が「大祐」として生きた「ある男(X)」の正体を探っていく、というストーリーである。

亡くなった夫が別人だった、という衝撃の事実から始まる本作。Xは、なぜ名前を偽っていたのか。偽っていたのは、名前だけだったのか。城戸の調査により、次第に真実が明らかになっていく。その過程には、確かにミステリーならではの面白さやすっきり感がある。

しかし、当人であるXは、すでに亡くなっているのだ。周囲の人たちの言葉や、客観的事実によって真実は輪郭を帯びてくるが、彼の内側にある思考や感情について「本当のところ」は知りようがない。

だから、私たちは登場人物たちとともに想像するしかない。城戸が集めてくれた情報を頼りに、Xが何を思い、どう生きたのか、思いをめぐらす。その鑑賞体験は、本作の魅力のひとつだと感じた。謎を解く、というよりは、見えないものに思いを馳せるという感覚のほうが近かった。

Xの妻である里枝も、彼の過去をひとつずつ知っていくなかで、今はもうそばにいないXについて何度も思いをめぐらし、彼の死と向き合っていく。また、城戸はXを調べていくうちに、自分自身についても思いをめぐらすことになる。

決してすべては明らかにならないと知りながらも、Xを思い、想像する。それは哀しくも温かい、豊かな時間だった。

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S H A R E
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東京在住。コピーライター。好きな映画は「ファミリー・ゲーム/双子の天使」「魔女の宅急便」。