【秘密の森の、その向こう】喪失の先で出会った、ささやかな秘密と癒やしのとき

ファンタジー要素の強い作品であると思う。しかしながら、全体を通して現実味を損なわないのは、揺れ動く感情の機微が丁寧に描かれているからだろう。祖母、母、娘の3世代にわたって連なる命。その絆の深さゆえ、喪失を受け止めきれない葛藤は相当なものに違いない。

奇しくも今年の夏、私自身、同じような痛みを味わった。遠方に住む祖母が、病で他界したのだ。コロナ禍の現状と家庭の事情の両面から、葬儀にも通夜にも参列できなかった。幼い頃、祖母にはずいぶんとかわいがってもらった。田舎地方特有の言葉で、「この宝物」と言いながら抱き上げてくれる手が好きだった。でも、生きている間も、死んでからも、「さようなら」が言えなかった。だから未だに、どこか区切りがつけられずにいる。

大切な人を亡くしたとき、人はどうやって心の整理をつけるのだろう。遺品は、手を動かし続ければいずれ片付く。でも、ひっきりなしに押し寄せてくる記憶や感情の波は、おいそれと片付けられるものではない。母、マリオンが娘に何も告げずに家を出た理由は、作中では明確に言語化されていない。ただ、私個人の感想としては、「心の整理」をつけるため、思い出の匂いが染み付いた生家を一旦離れる必要があったのではないかと推測する。

だったらその気持ちを娘に打ち明けてから出ていけばよかったのに。そう思う一方で、自分だったらどうしただろうと想像すると、思わず口をつぐんでしまう。

私たち大人は、子どもに対して「難しい話をしても、どうせわからないだろう」と思いがちだ。しかし、8歳同士のネリーとマリオンの会話を通し、「子どもは、大人が思っている以上に“わかっている”」と感じた。子どもは語彙や経験が少ないだけで、直感的な感性に優れている。大人たちの語彙を補って余りある豊かな情緒を、彼ら、彼女らは持っているのだ。

「言ってもわからない」ではなく、「たとえ今すぐ全部がわからなくても、いつかわかる日がくる」と思って、子どもに接したい。自分の思い、なぜその行動を選択したかを、言語化できる親でありたい。そう、改めて思った。

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S H A R E
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エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『BadCats Weekly』など多数|他、インタビュー記事・小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。