異常が正常、正常が異常になる、閉塞的で幸せな世界
アダとの暮らしが日常となったところへ、新たに異物が紛れ込んできた。イングヴァルの弟であるペートゥルだ。売れないバンドマンといった風貌のペートゥルは、夫婦のおとぎ話然とした生活を、狂った虚構だと突きつける役割を果たしていた。
しばらく夫婦の世話になるというペートュルに、アダの姿を隠し通すことができるのだろうかとハラハラしていると、こともなげに家族として紹介していた。アダは隠すべき存在ではなかった。夫婦にとってアダは家族であり、親族に紹介するのは当然のことだったのだ。
しかし、ペートゥルは動揺を隠せない。そりゃそうである。久しぶりに兄夫婦の家を訪ねてみると、亡くなったはずの姪の名前を持つ羊人間を紹介されたのだから。
二人きりになった時に「おかしいぞ」と詰め寄る弟に対して、「話し合う気はない」と牽制するイングヴァル。
奇跡の均衡を保ってつくりあげられている幸せだということも、イングヴァルは理解している。それが普通ではないことも。でもどうしても、ひとときだけの幸せだとしても、この暮らしを壊されたくないという姿勢を断固として崩さない。
アダを人間ではなく羊として接していたペートゥルも、いつのまにか狂った幸せな日常に絡め取られ、良き叔父としてアダを可愛がっていくことに。ふたりで保っていた均衡は崩れることなく、3人で守るべき世界となった。
だが、ここでめでたしめでたしとならないのが「LAMB」だった。
ハッピーエンドのその後に想いを馳せる
「シンデレラ」も「白雪姫」も、王子様と結ばれたところで「めでたしめでたし」と物語が終わる。結婚はゴールではなくスタートだとよく言われているが、その後も果たして幸せに暮らしたのだろうか?
過去の関係をひきずるペートュルを均衡を乱す者とみなし、ひっそりと街へと戻そうとするマリア。しかし、ペートゥルとマリアの不在の間に、おとぎ話の世界は崩れ去っていく。
パン!と響く銃声、連れ去られていくアダ。
因果応報、自業自得という言葉が頭に浮かぶ。
でも、どうしても取り戻したかった幸せがそこにあったのだ。最後、マリアは「大丈夫、なんとかなる」と自分に言い聞かせるように言う。子供を失った時もなんとかしてきた。次もきっと大丈夫だと。
太陽が沈まない夏が終わり、これからまた長い長い冬がやってくる。
子供の喪失を乗り越えたところでやってきたアダ。アダを自分たちのものにしてしまった時点で、この結末は決まっていたのかもしれない。
アダがいなければ経験していなかった幸せと、それをも凌駕する深い絶望を背負ったマリア。
これから先の物語を、マリアはどう紡いでいくのだろう。
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■LAMB ラム(原題:Dýrið、英題:Lamb)
監督:ヴァルディミール・ヨハンソン
脚本:ショーン、ヴァルディミール・ヨハンソン
撮影監督:イーライ・アレンソン
編集:アグニェシュカ・グリンスカ
音楽:ソーラリン・グズナソン
プロデューサー:フレン・クリスティンスドティア、サラ・ナシム
出演:ノオミ・ラパス、ヒナミル・スナイル・グズナソン、ビョルン・フリーヌル・ハラルドソンほか
配給:クロックワークス
(イラスト:Yuri Sung Illustration)