映画の話に戻る。
本作が一般的な恋愛(ドラマ)と異なるのは、ジャヨンとウリのふたりが、出会った瞬間からいきなり本心に近い話をしていることだ。
出会い系アプリで知り合ったふたり。「どうして僕を選んだの?」というウリの問いに対し、「性病を持っていなそうだから」というジャヨンは直球で返答する。見方を変えれば最高の褒め言葉と言えなくもないが、丁寧に関係を深める恋愛だったなら、そんな答えは返さない。
恋愛は面倒だけど、寂しさは回避したいジャヨン。かたや、アダルトコラムの執筆としてネタを探す必要のあるウリ。
いわゆるちゃんとした「お付き合い」とは別の部分に需要があり、その利害関係がぴったりハマったふたりの物語は、清々しいほどに会話が弾んでいく。その会話には「お互いをなるべく傷つけないように」といった忖度は皆無。「お互いのことを、ちょっとだけなら傷つけてもいいや」と思えるフシさえあって。
そんなゆる〜い関係のときに、スルスルと本心をえぐるような言葉が出てくるというのは、なかなか興味深い構造のように思える。
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実際のところ、会話とは、本当に難しい。
例えば仕事がめちゃくちゃ大変なAさんがいて、パンクしそうだったとする。Aさんは上司に相談する。「けっこう大変なんですよ」。
その時点で、実際の大変さから2割引したような感覚で語っている。上司は「まあまあ大変らしいな」とさらに2割引くらいの感覚で認識する。このワンターンだけで、実際の大変さの6割くらいのレベル感で物事が伝わっている。
上司も、自らの上司(便宜的に「大上司」という)に状況報告をしなければならない。上司は、大上司の評価を損ねたくないから、さらに2割引したニュアンスで伝えようとするだろう。そして大上司も「ちょっと大変なのね」と、その2割引の感覚で現状を把握する。把握した気になっている。
実際の大変さを100としたら、
100×0.8(自己申告)×0.8(上司の受け取り)×0.8(上司の報告)×0.8(大上司の受け取り)
最終的に、計算結果は0.4096。
実際の大変さはほとんど伝わらない。だから、組織は粛々と疲弊していく。中には本当にパンクし、心身を病んでしまう人もいるだろう。
周囲から見れば、伝言ゲームは滑稽に映る。伝えた言葉は間違いようがないと思えるのに、何人かの人間を介することによって、全く違う言葉が伝達されてしまうのだ。
彼らは、所詮他人だからこそ、本心を目減りして伝えてしまうのだろうか。いや、そんなことはない。
パンクしそうなAさんが、パートナーに仕事の大変さを伝えるとして。果たして、どれくらいのレベル感で伝えることができるだろうか。もちろん人にもよると思うが、「心配をかけたくないから」という理由で、実際の大変さよりも小さく見積もって現状を伝える人が多いのではないだろうか。
誰よりも大切で、関係の深いパートナーにも関わらず、自らの本心を正直に開示することができない。繰り返しになるが、会話とは、本当に難しいとつくづく思う。