【裸足で鳴らしてみせろ】過去に縛られた自分との決別

それっぽい「音」を集めれば良い。

砂漠っぽい音、洞窟で反響しているような音、滝の音……。盲目の美鳥は、目で世界を感じることができない。だから槙は、世界中を旅しているような「音」を集めようと言うのだ。

その瞬間の直己は「騙しているんじゃないか」と逡巡する。それでも美鳥の嬉しそうな表情を見るにつれて乗り気になっていく。「ほんの少し先の未来」とは、美鳥の喜ぶ顔を見れるという他者と共にあった。

*

だが、それは所詮、虚構としての物語だった。

音集めをしている中で、直己も槙も、本当はお互いに惹かれ、身体を触れたいと思っているということに気付いてしまう。同性であることを理由に躊躇し、ちょっとした殴り合いのようなもので「触る」ことの代替を果たそうとする。

その場では楽しいかもしれないが、2人の関係はそれ以上にはならない。それは、自分たちが現在から一歩も外に踏み出せないことを意味している。

それは直己と父親の関係もまた同様だった。

傍目から見れば、親子関係は良好だ。一緒に仕事をし、時にはプライベートで釣りを楽しむ仲。だが直己は、自分が釣りが嫌いだと言うことができない。父親との関係を崩さないよう、過去から引き継いだ自分のイメージを守ろうとしているのだ。

それは果たして、正しい態度だろうか。

そして、過去の自分と決別する

お互いの顔を見れ、声も聴けるはずなのに、直己が心を開けるのは、他人の美鳥に対してだけだった。

それは美鳥が直己と同様に、過去に縛られて生きている人間だからだ。立場は違えど同じタイプで、未来に行くことを躊躇している。そんな美鳥を自分になぞらえて、「一緒に旅に行こう」と約束したのではないだろうか。それは同時に、これまでの自分との決別宣言でもあった。

決別の意思を固めた人間は、強い。それが結果的に法を破る過ちを犯したとしても、強いことは、強い。

直己は、泳げなかった。泳げなかったから、動けないと思い込んでいたのかもしれない。だが直己は、じたばたしてみせた。裸足で小豆を鳴らし、初めて父親に逆らった。

現在との「別れ」を自ら切り出したのも、また直己からだった。

物語の終盤、未来へと向かう直己が、過去により戻されそうになるシーンが映し出される。ひとしきり涙を流した直己だったが、最後には自分が信じた道へとハンドルを切る。

*

過去は過去で、現在は現在で、未来は未来だ。

20歳で獲得した強さは、直己の心に確かに根付いていた。それは「裸足で鳴らしてみせろ」という物語を作り上げた、監督・工藤梨穂の自他へのエールでもあるのだろう。

まだまだ、僕たちは、人生を鳴らし続けていくのだ。

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■裸足で鳴らしてみせろ
監督:工藤梨穂
脚本:工藤梨穂
製作:矢内廣、堀義貴、佐藤直樹
プロデューサー:天野真弓
撮影:佐々木靖之
音響:黄永昌
音楽:藤井草馬
美術:柳芽似
主題歌:soma「Primula Julian」
出演:佐々木詩音、諏訪珠理、伊藤歌歩、高林由紀子、甲本雅裕、風吹ジュンほか
配給:一般社団法人PFF / マジックアワー

(イラスト:Yuri Sung Illustration

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