【LOVE LIFE】再生を願いながら、愛と贖罪の狭間で喘ぐ、ある家族の物語

osanai LOVE LIFE

集団団地で暮らす妙子、二郎、敬太の3人家族。向かいの棟に住んでいる二郎の両親を招いたパーティーで起こった悲しい事故をきっかけに、家族の足並みが少しずつ乱れていく──。
監督を務めたのは、2016年に発表した「淵に立つ」で第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員賞を受賞した深田晃司。主演は木村文乃。再婚相手の二郎を永山絢斗、元夫を砂田アトムが演じる。矢野顕子の代表曲「LOVE LIFE」が着想となる。

──

“痛かった、全部。”

映画「LOVE LIFE」の公式ウェブサイトに記された一文を目にしたときから、ある程度覚悟はしていた。でも、タイトルに「LOVE」の文字が入っていたため、私のなかに油断が生まれた。LOVEという言葉に対するイメージは、人により様々だ。ただし、一般的には「温かなもの」「愛おしいもの」との印象が強い言葉であろう。私も例に漏れず、その認識が強かった。

LOVEを直訳すると、「愛」。愛は、決してきれいなものだけではない。愛と紙一重の支配欲や依存心。悲しいまでの身勝手さと、それらがもたらす理不尽な痛み。愛しているからこそ傷つけ合い、愛しているからこそ分かり合えない。そんな「愛」が持つ凶暴性、抗えない衝動を、これまでの人生において、嫌というほど味わってきたはずだったのに。

いっそ思いきり抉られる作品であったなら、そのほうがまだ楽だったかもしれない。しかし、真綿でじわじわと首を絞められるような苦しさが長時間続いた。これが、私の本作における率直な感想である。

痛かった。私にとってこの作品は、あらゆる意味で、とても痛かった。

主人公の妙子は、夫と息子の3人暮らし。息子の敬太は元夫との子どもで、現在の夫である二郎とは血のつながりはない。それでも、二郎は敬太のことを大事に思い、敬太もまた、二郎に懐いていた。

このエピソードだけを切り取れば、穏やかで幸せに満ちた家庭に見えるだろう。しかし、映画序盤、二郎の父親がとある台詞を吐く。その言葉は、一見明るく見えた家族の色に、仄暗い陰を落とす。

「中古にも、中古でいいものとダメなものがあるんじゃないのかね」

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S H A R E
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エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『BadCats Weekly』など多数|他、インタビュー記事・小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。