【スワンソング】人々の記憶のなかで生き続ける、自由で身勝手で純粋な、あるひとりの人生の物語

osanai スワンソング

老人ホームでひっそりと暮らす、元ヘアメイクドレッサーのパット。喧嘩別れして疎遠だった友人・リタから「自分の死化粧を依頼したい」という連絡が届く。過去の葛藤や思いを抱きながら、スワンソング(=最後の作品)に挑む物語。
監督・脚本はトッド・スティーブンス。実弟のクリス・スティーブンスが音楽を手掛ける。ウド・キアーのほか、「プロミシング・ヤング・ウーマン」のジェニファー・クーリッジ、「アグリー・ベティ」のマイケル・ユーリーなどが出演している。

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映画を観終わったあと、感想をすぐには「言語化したくない」と思うときがある。「言葉にしきれない」というのとは、少し違う。あえて「言葉にしたくない」のだ。自分が持つわずかな語彙のなかに、作品を押し込めたくない。ふわふわと原型のないまま、ただその余韻を味わっていたい。先日観た「スワンソング」は、まさにそういう作品であった。

主人公の名は、パトリック・ピッツェンバーガー。通称パット。映画序盤、老人ホームにて孤独な毎日を送るパットの姿が、克明に映し出される。しおれた佇まいで紙ナプキンを延々と折り続ける一方、スタッフのいうことは頑として聞き入れない。そんな彼は、若かりし頃、ヘアメイクドレッサーとして街でもカリスマ的存在だった。

ある日、パットの元に弁護士が訪れる。親友であり顧客でもあったリタの死を知らせるため、そして、彼女の遺言を伝えるために。「パットに死化粧を」──それが、リタの遺言であった。
過去の出来事が原因で、リタに対するわだかまりが消えずにいたパットは、弁護士の依頼を断り追い返してしまう。しかし、それ以降パットの脳裏には、さまざまな思いが去来する。過去の栄光、かつての恋人との思い出、親友の面影、失った己の居場所。浮かんでは消える記憶に突き動かされ、パットは衝動的に老人ホームを抜け出す。

老人ホームから馴染みの街へと向かう道中、パットはさまざまな人と出会う。その出会いと別れの様子に、私の感情は忙しく揺れ動いた。もっとも印象に残ったのは、洋服を買いにブティックを訪れる場面である。上下ともによれよれのジャージ姿だったパットは、街の小さなブティックのドアを開く。その店の店主は、たまたま過去、パットがヘアメイクを施した顧客のひとりであった。彼女は、パットを覚えていた。パットもまた、彼女を思い出した。

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S H A R E
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エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『BadCats Weekly』など多数|他、インタビュー記事・小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。