「すぐには思い出せなくても、頭のどこかに確かに記憶は存在する」
パットは、そっと微笑みながら彼女にそう言った。一時忘れていたとしても、記憶や体験が消えるわけじゃない。何かの拍子に、記憶はふと蘇る。
大勢いる顧客のひとり、覚えているわけがない。そう思っていた店主が、パットに自分の名前を呼ばれた瞬間の表情。あの顔を見て、思った。
覚えていてくれた。
たったそれだけのことが、人はこんなにも嬉しいのだ、と。
街の様子は、パットの若かりし頃とはすっかり変わっていた。行きつけのバーは閉店が決まり、恋人と住んでいた家は、取り壊されて更地になっていた。パットを覚えている人間は、ほとんどいなかった。そんななかでパットを覚えていたブティックの店主に出会えたことは、パットにとってもまた、希望だったろう。
作中、パットの回想シーンにおいて、たびたび登場する人物がいる。その男性の名は、デビット。パットが誰よりも愛した、かつての恋人である。花を植えるのが好きで、噴水をひとりで作ってしまうほど手先が器用な人だった。また、口数が少なく、物静かな印象を与える人でもあった。デビットは、若くして病で死んだ。しかし、デビットはパットのなかで生き続けた。パットの命がある限り、在りし日の姿のまま、たしかなものとして残り続けた。
人はみな、ひとりきりで生まれ、ひとりきりで死んでいく。しかし、その過程で出会った人々との思い出は、常にともにある。たとえ命の火が消えても、人は人の記憶のなかで生き続けるのだと、この作品を通して教えられた。
パットという人間が、自身のプライドをかけて人生の忘れ物を取り戻しにいく。その痛快な生き様に、私はある意味背中を押された。
誰かの目を気にして生きている場合か?
そんなふうに、問いかけられたような気がした。