恐怖政治の時代が終わり、宮廷貴族が復活した19世紀前半のフランス。文学を愛し、詩人として成功を夢見る田舎育ちの青年リシュアンが、駆け落ちしたパリの社交界で栄枯盛衰を経験する物語。
原作はフランス出身の作家であるオノレ・ド・バルザック『幻滅 メディア戦記』。「偉大なるマルグリット」「ある朝突然、スーパースター」のグザヴィエ・ジャノリが監督を務める。主人公のリシュアンを、「Summer of 85」のバンジャマン・ヴォワザンが演じている。
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かつてぼくには、名前がふたつあった。日本と韓国とロシアのミックスルーツ当事者であるぼくは、数年前に帰化するまで国籍は韓国だった。書類上では在日コリアン3世だか4世だかで、つまるところ戸籍の「本名」は韓国名だったのだ。もっとも日常生活では要らぬ火の粉を避けるため、役所に登録している「通称名」と呼ばれる日本名を使用していたが。
日本国籍がほしい。「本名」としての日本名がほしい。そうしたら万事解決で、その後の人生は「日本人」として歩むことができる。差別や迫害の的になる心配も、しなくて済む。20代後半でシス男性と婚姻関係を結んだことをきっかけに韓国名を捨て、パートナーの苗字に改名し、晴れて日本名を「本名」として名乗ることが可能になった。それからは、基本的にルーツについてぼくはクローズドで生活している。ぼくにとって日本社会でうまくやっていくための必須条件が、日本国籍であり、日本名だったのだ。リュシアンがパリの社交界で成功するための必須条件が、爵位であったように。
映画「幻滅」の主人公・リュシアンは、薬屋の息子でいわゆる庶民だ。貴族である母方の姓「ド・リュバンプレ」を名乗る資格は本来ない。社交界への切符となる「爵位」にこだわり続ける彼の痛々しさを、けれどもぼくは笑えない。
牧歌的な田舎町アングレームで生まれ育ったリュシアンは、素朴すぎるほど素朴な青年である。物語は彼が草むらで寝転び、メモ帳に詩を書きつけるシーンから始まる。風のささやきと鳥のさえずり、木の葉の揺れるかすかな音に耳を澄ませ、愛するひとへの想いを紡ぐ。アングレーム社交界の女王ことルイーズ・ド・バルジュトンに詩人としての才覚を見出されたリュシアンは、やがてルイーズと恋仲になる。しかしルイーズはバルジュトン──貴族の老いた夫を持つ人妻だった。
「夫は狩猟の本と犬の世話にしか興味がない」と、ルイーズはため息をつく。ふたりのあいだに愛はなく、食事のときでさえ夫はルイーズをちらとも見ない。ルイーズへの関心は皆無で、おまけに無教養。ぼろぼろとこぼしながらパンを齧るその姿は、およそ貴族らしくない。はっきり言ってしまえば、醜い。それは彼の容姿ではなく、また老いているからではない。外見問わず、年齢問わず、美しい老人はこの世にごまんと存在する。
しかしながらバルジュトンは、妻の不倫を赦さなかった。ルイーズを愛しているからではなく、所有欲とプライドから来る怒りだろう。バルジュトンはリュシアンの勤める印刷所に乗り込み、彼を罵倒する。「薬屋の……庶民の息子のくせに」と。コンプレックスを突かれたリュシアンは「無教養な夫のせいで、彼女の人生は台無しです」と言い返してしまう。
このことをきっかけにアングレームにいられなくなったリュシアンは、ルイーズとパリへ駆け落ちする。文芸を好む人間の少ない狭量な田舎町とは違い、パリならばきっとリュシアンの文才も認められるはずだ。リュシアンも、彼をずっと支援し続けてきたルイーズもそう信じていたが、現実は甘くなかった。