冬のソウルに、小説家のチャンソクがロンドンから出版のために帰国する。そこで出会う人々との出会いを機に、チャンソクは心に閉ざしていた記憶と向き合うことになる──
監督と脚本を手掛けたのは、「ジョゼと虎と魚たち」のキム・ジョングァン。主演は「39歳」のヨン・ウジンと「ベイビー・ブローカー」のイ・ジウン。
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大して親しくない人なのに、ただ偶然居合わせただけの人なのに、誰にも言えないような話をこぼしてしまう時がある。ふたりだけの世界が構築されたと勘違いするほどの没入の中で、その独白ははじまる。
死にたがりの小説家チャンソクは、物語の中でただただ人の話を聞いている。そんな彼と出会い、自らの境遇を打ち明ける4人は、それぞれ心に穴を抱えていた。チャンソクが肯定も否定もせずに彼らの話を受け止めるのは、彼の心にも大きな穴があるからだ。
穴の存在を知ってもらえるだけで、救われることもある。ぽっかり空いた心の穴の輪郭を確かめるように話をして、自分の心の穴と照らし合わせるように話を聞く。そうすることで、人々は癒やされていく。
記憶に生きる人たち
幸せだった頃の記憶を飴玉のように舐めながら、過去に耽ることがある。夢をみるように儚い時間だが、チャンソクと喫茶店で対峙するミヨンは、その記憶の中をぐるぐると彷徨っていた。喫茶店の前を生き急ぐように忙しなく歩く人たちを呆れた顔で見ていたのは、彼女自身の時が止まっていたからだ。
チャンソクはミヨンにある作り話をする。かつてそのホテルの上客だったホームレスが、ホテルのスイートルームに泊まりたいと言い出し、周りの人に頭のおかしい人として扱われる。だが、唯一ベルマンだけがホームレスの過去を覚えていて、丁重にスイートルームまで案内する。そこでホームレスははたと正気に戻るという話だ。
人は二度死ぬという言葉がある。
一度目は肉体が死んだ時、そして二度目は人々の記憶から消えてしまった時。人の記憶に残っている限り、その人は過去の姿のまま生き続けている。愛する人の二度目の死を経験したくないかのように、ミヨンは記憶の中に留まっていた。
反対に、チャンソクの担当編集者であるユジンは、喪失の記憶をタバコに乗せて忘れようとしていた。かつての恋人が吸っていたというタバコは、チリチリと音をたてながら灰となり短くなっていく。タバコを吸っている間だけが、その恋人を振り返る時間だとでもいうように、煙を吐き出しながら静かに記憶を語っていく。
タバコは、残り数本だった。すべて吸い終わる頃には、喪失の記憶は彼女にとって過去になる。