【Firebird/ファイアバード】異性婚以外の結婚が法制化していたら、ぼくは、彼らは、どんな未来を辿り、どんな現在を送っていたのだろう。

しかしそうしながらも彼は、セルゲイを諦めきれない。ともすれば彼の言動は、身勝手で傲慢と捉えられよう。すべてを手にしようとするローマンは、セルゲイもルイーザも踏みにじる。彼が意図せずとも、結果的にはそうなってしまう。でも、彼の欲望は真に「身勝手で傲慢」なのだろうか?

もしも社会が同性愛を──異性愛以外の恋愛や性愛を尊重し、敬意を払っていたのなら。ローマンはふたりを蔑ろにしないで済んだ。ごく当たり前にセルゲイと結婚し、神父の前で誓いのキスを交わし、軍の同僚たちから祝福を受ける。演劇学校へ通い役者の道を歩むセルゲイと家庭を築きながら、士官としての社会的側面も確固たるものにする。そういう人生が彼の前に拓けていたはずだ。

若き日のぼくを手酷く裏切った恋人を、ローマンに重ねずにはいられなかった。彼女はぼくと付き合っていたとき、世間でいうところの「結婚適齢期」に突入していた。ここからは当時の彼女の年齢を追い越した現在のぼくの憶測に過ぎないが、親族や周囲の人間から「いいひとはいないの?」と訊ねられることも増えていたのかもしれない。実際、現行の法律では結婚することの叶わないクィアの友人たちは、30を迎える直前からそんなふうにせっつかれるようになったとよくため息を漏らしている。

あのときぼくは、彼女が嘘をついていたのだと思っていた。本当はレズビアンではなくバイセクシュアルかパンセクシュアルで、「男性」も恋愛/性愛の対象であったのだろう。理由はわからないけれど、ぼくに偽りのセクシュアリティを告げ、騙して揶揄っておもしろがっていたのだろう。そんなふうに結論づけ、彼女を裏切り者だと呪っていた。でも、もしかしたら。世間や親族の圧力に疲弊していたり、あるいは「平凡な家庭」を望んでいただけだったのかもしれない。ローマンと同じように。

ローマンは兵役を終えたセルゲイの前に、幾度も姿を現す。必死で稽古に打ち込むセルゲイに、けっして自身を忘れさせない。セルゲイはルイーザへの親愛と彼への恋情のはざまで煩悶するが、結局はいつだってローマンに引っ張られてしまう。ルイーザに対する裏切りだとわかっていながら自らの感情を抑え付けることのできないセルゲイは、罪悪感に苛まれ、そして同時に愛するひとと添い遂げられない哀しみに、ひとり膝を抱えて咽び泣く。

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S H A R E
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ライター。修士(学術)、ジェンダー論専攻。ノンバイナリー(they/them)/日韓露ミックス。教育虐待サバイバー。ヤケド注意の50℃な裸の心を書く。