1970年代後期、ソ連占領下のエストニアで間もなく兵役を終えようとしていたセルゲイは、パイロット将校のロマンと出会う。写真という共通の趣味を持つふたりは、少しずつお互いの距離を縮めていくのだが──。
監督と脚本、プロデュースを務めたのはエストニア出身のペーテル・レバネ。主人公のセルゲイを演じたトム・プライヤーは本作においてプロデュースと脚本も手掛けている。
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彼女のインスタの最新ポストを見たとき、ぼくは一瞬、別のアカウントと間違えたのかと思った。それは「結婚しました」のキャプションと共に投稿されていた婚姻届──もちろん3つの指輪が文字の上に並べられていた──の写真であり、彼女が「結婚」できないと知っていたから。彼女は、彼女自身が語ったことばを真実だとするならば、レズビアンであり、「男性」に恋することも寝ることもできないひとのはずで、なによりぼくの恋人だった。
でも何度フィードを更新してもそれは消えなかったし、何度たしかめても彼女のアカウントのポストで間違いなかった。幻でも夢でもなく、まぎれもない現実だった。
恋人であるならば、すぐさま彼女にLINEをして真偽を確認すべきだったのだろう。けれどもぼくはそのときまだ学生であり、はたちを過ぎたばかりで、恋愛で打ちのめされた経験を持ち合わせていなかった。そうなったときの自身の内なる世界の崩壊と、精神の損失を、推し量ることさえできぬ子どもだったのだ。加えて彼女は一回りほど年上で、いつもぼくの心を翻弄し、掻き回した。
彼女はSNSをやっていないとぼくに嘘をついていたが、ぼくは彼女のアカウントを発見していた。なぜ嘘をついてまで教えてくれなかったのか、その理由は当時の幼いぼくにはわからなかった。だからぼくはひっそりと彼女のアカウントを覗き見ていた。
いうまでもなくこの出来事はぼくを大いに損なった。投稿のあとから、彼女からの連絡はぷっつりと途絶えた。彼女とはそれきりになった。ぼくは1ヶ月ほど食べ物が喉を通らず、彼女と、彼女を奪った男への憎しみと恨みにのたうち回った。あの悪夢のような日々は、ぼくを臆病にさせた。恋愛に限らず、すべての人間関係において、相手に疑心を抱かずにはいられない数年間をぼくに与えた。