【島守の塔】日本が“加害国”でもあることを自覚した上で、戦争反対を叫ぶべきじゃないのか。

歯噛みしていたのは島田だけではない。沖縄日日新報社の記者たちもだ。彼らは「本当のこと」を書かせぬ国の圧力に、無力感を覚えていた。そんな彼らの元に、守備隊の会報が届く。そこに記載されていたのは、「方言を使う者は皆、スパイと見做し処分する」という大本営の意向だった。軍事機密漏洩のためであるらしいが、あまりに非人道的なお達しだ。民族のことばを奪うというのは、すなわち誇りを踏みつけるのと同義である。記者たちは怒りと屈辱に身を震わせる。だったら沖縄は島中スパイだらけじゃないか、とそのうちのひとりが吐き捨てた。

日本帝国は──少なくとも第32軍は、沖縄を救うつもりなどさらさらなかったのだ。本土への攻撃を1秒でも遅らせるために、米軍を沖縄で足止めすること。琉球を「沖縄県」として日本に編入しておきながら、その地を、住人を、完全なる「自国民」として扱わない。結局は“お国”にとって沖縄人は、「準日本人」なのだろう。その事実が玉ねぎの皮を一枚一枚剥くように、映画が展開するたび明らかになっていく。

厳しさを極める戦況、激化する空襲。そんな中、現地人が避難しているガマに突如、兵隊たちが押し入ってくる。彼らはひとびとに銃を向け「自分たちがここで敵を待ち受けて奇襲をかけるから、おまえたちはこの場を明け渡せ」と命令する。「日本の兵隊さんは私たちを守ってくれない……」というか細い嘆きすら、発砲で封じ込める。するとひとりの男性が奥でゆらりと立ち上がり、沖縄弁で叫んだ。

「ここは私たち沖縄人ウチナンチュのものです。あなたたちが出ていけばいいでしょう?!」

哀しみの咆哮。しかし兵隊たちは鼻にもかけない。「方言を使う者はスパイ」という名目で、躊躇いなく彼を撃ち殺す。

そして総攻撃失敗を理由に、牛島は「首里を放棄する」と言い放つ。あとは島民だけでよろしくと言わんばかりの無責任さに、島田は憤りを隠さない。軍が首里を捨てて南へ進軍するということはすなわち、そこに逃れた県民15万人の巻き添えの不可避を意味する。

「戦争さえ勝てれば、ひとが何人死んでもかまへんのですか。負けたら軍人は撤退したらいい、迷惑千万なんは道連れにされる住民や」

沖縄のひとびとの命を守るために、島田はこの地へ赴いた。けれども日本軍は沖縄を見放す。戦場として利用し、兵力として活用し、搾取するだけ搾取して、搾りかすになったらポイだ。牛島の宣言に反発する島田は、「首里を守らず住民を道連れにするとは愚策」と吐き捨ててその場を去る。島田は県民の命を守る義務を、最期まで全うしようとした。

島田はいよいよという局面で、逃げなさいと凛を諭す。しかし捕虜になるくらいなら自決したほうがマシだと信じて疑わぬ凛は、その腕の中で妹が死してもなお、歪んだ愛国心を捨てられない。そんな凛の頬を、島田は思わずぶつ。肩を掴み、痩せた体を揺さぶりながら、「生きろ」と涙ながらに説得する。

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S H A R E
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ライター。修士(学術)、ジェンダー論専攻。ノンバイナリー(they/them)/日韓露ミックス。教育虐待サバイバー。ヤケド注意の50℃な裸の心を書く。