なぜ僕はケネスのようにドアを開けるのを拒まないのだろう。
それは僕が「警察官が自分に対して何か悪いことをするはずがない」と思っているからだ。警察という権力に対して漠然とした信頼感を感じている(少なくとも不信感を抱いていない)し、自分が何か悪いことをした覚えもない。もし何か手違いがあっても、説明すればわかってくれるはずだ。だから、自分に何か悪いことが起こるはずはない。
そう思うのは、日本が平和だからでも、アメリカとは社会構造が異なるからではない。僕が無知だからだ。
2020年、軍事転用可能な機器を輸出したとして大川原化工機株式会社の代表者らが逮捕・起訴され、その後11か月間身体拘束された。同社の代表は拘置所内で体調を崩し、緊急の治療の必要性を理由に保釈請求をするも却下され、十分な治療が受けられず死亡した(死因は胃がん)。
その後、第1回公判の実施4日前に検察が突然起訴を取り下げ、裁判は突然終わった。検察官から理由の説明はなかった。のちに、同社が起こした民事裁判に捜査を担当した警視庁公安部の警部補が証人として出廷し、自ら「(事件は)捏造です」と証言した。
「ある日突然、身に覚えのない容疑で逮捕される」ということは日本でも起きている。警察が法を犯すはずがない、犯罪を犯してなければ捕まるはずがない、ということはない。アメリカでも、日本でも、国家権力が個人を簒奪する力を持っているのに変わりはない。そのことに、僕は、僕らは無自覚すぎる。無知すぎる。
ケネスは違った。
彼は無知ではなかった。権力が持つ暴力性を知っていた。だから、ドアを開けるのを頑なに拒否したのだ。ドアを開けない権利を主張し、逮捕状がないのに無理に入ろうとするのは違法だと指摘した。ドアが開かないようにソファを置いて、警官がドアをこじ開けられないようにした。自身の権利を主張し、権力に対して引き下がらなかった。精神疾患と心臓病を抱えた老人は、権力と戦う意思という強さを持っていた。
警官たちは、ケネスの持つ権利を侵害することを知りながら、正義のもとに権力を使って無理やり部屋に入ろうとした(最終的には斧などを使ってドアを物理的に破壊して侵入した)。その行為は押し入り強盗と一体何が違うというのか。