【丘の上の本屋さん】「何でも説明が必要とは限らない」本を通して交流する古書店店主と少年の絆を描いた物語

osanai 丘の上の本屋さん

本を愛する古書店店主のリベロは、ある日店を訪ねてきた移民の少年・エシエンに声を掛ける。本を買うお金がないと言うエシエンに、「ミッキーマウス」のコミックを貸すことから、ふたりの温かい交流が始まる。
監督と脚本を手掛けたのは、クラウディオ・ロッシ・マッシミ。主演は「我が名はヴェンデッタ」「フォードvsフェラーリ」のレモ・ジローネ。

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本が好きだ。中身の文章はもちろんのこと、一つひとつ違う装丁も、紙とインクの独特の匂いも、時々差し込まれる挿絵も含めて。昔から、辛いことがあるたびに物語の世界に逃げ込んでいた。逃げ込んだ先で、いろんな人のいろんな言葉に出会った。それらに助けられて、今の私がある。

だから、「丘の上の本屋さん」という映画タイトルを目にしたとき、それだけで顔がほころんだ。本作は、本を通してつながる人々の絆と共に、本が教えてくれる世界の広さ、奥深さを伝えてくれる物語である。

物語の舞台は、イタリアの小さな古書店。長年本屋を営むリベロのもとには、風変わりな客たちが次々と訪れる。そんなある日、リベロは店の外で本を眺める移民の少年・エシエンと出会う。「本は大好きだが買うお金がない」と話すエシエンに、リベロは本の貸出を申し出る。そこからはじまる二人の交流は、実に微笑ましい。コミック作品からはじまり、『イソップ童話』、『星の王子さま』、『白鯨』など、少しずつ文字数や物語の複雑さを上げていくリベロ。彼に勧められるまま貪るように本を読み進める少年は、物語や専門書を通して知らなかった世界の一端を知り、考えることの大切さを学んでいく。

本には、さまざまなジャンルがある。小説、エッセイ、哲学書、専門書――どれも違った趣と味わいがあり、好みは人によってわかれる。私がもっともよく読むのは小説だが、年齢を重ねるごとに興味の幅が広がってきて、現在はエッセイや専門書の類にもためらいなく手を伸ばすようになった。それはおそらく、「なんのために」本を読むかが変化したためだろう。昔は、「現実から逃げる」ために本に手を伸ばすことが多かった。今でもその傾向がないわけじゃない。だが、現在は「なにかを知るため」に本を開くことが増えている。個人的には、いい変化だと捉えている。

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S H A R E
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エッセイスト/ライター。エッセイ集『いつかみんなでごはんを——解離性同一性障害者の日常』(柏書房)刊行。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評・著者インタビュー『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『婦人公論』|ほか、小説やコラムを執筆。海と珈琲と二人の息子を愛しています。

エッセイ集『いつかみんなでごはんを——解離性同一性障害者の日常』(柏書房)
https://www.kashiwashobo.co.jp/book/9784760155729