【君たちはどう生きるか】誰の心にもある“悪意”の芽。矛盾する感情を抱えた上で、私たちは「どう生きるか」

すでに亡き母の面影と、「新しいお母さん」であるナツコ。その両者に挟まれ、やり場のない感情を持て余した眞人は、転校初日に肩をこづいてきた同級生に殴りかかる。喧嘩自体は大怪我につながるようなものではなかったが、帰り道、眞人は自分自身の頭を石で殴りつけた。頭から大量に出血した眞人が帰宅すると、案の定、屋敷は大騒ぎとなった。ナツコは眞人を心配し、父は激怒して学校へと乗り込んだ。直情的な父の性格を把握した上で、同級生に矛先を向けるために自傷行為をした眞人の行いは、決して褒められたものではない。だが、そうまでしても壊したい現実が眞人には多過ぎたのだろう。

眞人はナツコだけではなく、父に対しても心に壁を築いていた。だが、行方不明となったナツコを追って異世界に足を踏み入れ、さまざまな経験をするうちに、眞人の心に変化が生まれる。その様は、「千と千尋の神隠し」で豚に変えられた両親を助けるために奮闘しながら成長する千尋の姿を思わせた。

異世界で、眞人は多様な生き物と出会う。魂の化身である「ワラワラ」、勇敢に船を漕ぐ女性「キリコ」、人を食らうインコ、炎を操る少女「ヒミ様」。これらのキャラクターをはじめ、宮崎駿がこれまで手がけた作品の世界観が、本作にはあらゆる手法で詰め込まれていた。

ある人物の力を借りて、ナツコの救出を試みる眞人。彼の勇気と行動力は絡まり合った糸をほぐし、邂逅へとつながっていく。その過程は、優しい描写だけにとどまらない。醜い欲望、小狡い駆け引き、隠しもった悪意など、生々しい感情が容赦なく描かれている。本作を通して、「きれいなだけ」の生き物などいないのだと、そんな当たり前のことを改めて思い知った。

誰もが、醜さや悪意を身の内に潜めて生きている。極力見せないように努めてはいるものの、それらを決してゼロにはできない。物事を自分の思い通りにしたいとき、やるせない出来事があったとき、感情が大きく揺れ動いたとき、悪意はひょっこりと芽を出す。そういうものが己の中に“ある”と分かった上で、「どう生きるか」。「どう生きたいか」と本作は問いかけてくる。

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S H A R E
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エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『BadCats Weekly』など多数|他、インタビュー記事・小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。