凛は絶望していないけれど、希望を抱いているわけでもない。盗人の女神が宿る早池峰山を心の寄る方としているが、救いを求めているわけでもない。ハナから諦めているのだ。自らの人生を。自らの未来を。複数の被差別属性を持つぼくは──セクシュアル・マイノリティであり、虐待サバイバーであり、ミックスルーツ当事者であり、元在日コリアンである──、凛の瞳からそう読み取った。
小さな村特有の、閉鎖的なコミュニティ。
それが凛の世界のすべてであり、だからこそ何もかもを諦めるしか生きていけない。差別と排斥を黙って受け容れ、耐え忍ぶ。父親から極めてナチュラルに弟との扱いに差をつけられようとも、不満はひとつだって漏らさない。凛自身が耐えることを美徳としているわけではけっしてなく、ただシンプルに、この世はそういうふうに作られているのだと捉えているのだ。それゆえに彼女は反発しない。盲目の弟を可愛がり、父親の言いつけも素直に聞く。
罪人はあくまで、凛たちの祖先だ。本来ならば凛たち自身に責任など微塵もない。しかしだれも、責任の妥当性に疑念を抱かない。まるでそうすることこそ正義のように、ごく自然に、むき出しの憎悪を凛たちに向ける。冷害による大飢饉ゆえ米を村人たちへ配給する場面でも、伊兵衛の取り分だけ減らしたり、挙句、地面に捨てたりする。
そして飢えた伊兵衛は、村の蔵から米を盗んでしまう。伊兵衛を疑う村人たちは家へ押し入り、ついには証拠を見つけてしまう。言い逃れができぬ状況で凛はとっさに「おれがやった!」と父親を庇ってしまうのだが、驚くべきことに伊兵衛は迷いなく便乗した。村人たちの前でこれみよがしに凛の頬を打つ姿に、かつて世間体のために人前でぼくを折檻した己の父を重ねた。
凛は父親よりもむしろ、愛する弟を守りたかったのだろう。父親が捕まれば、弟の生活は今よりも危うくなる。一方で自分が罪人になっても、立場はそう変わらないと知っていた。村の底辺の一家、そのうちただひとりの「女」である凛は、つまり村人たち個人単位のカーストにおいてもいちばん下に位置付けられている。だから罪を被ることに、躊躇いなどなかったのだ。
父親を責めるでも恨むでもなく、ただ黙って家を出る。早朝の薄暗い時間帯、草鞋を脱ぎ捨て手ぶらで山へ向かう凛を、伊兵衛は引き留めない。振り返って父親に気づいた凛は、静かに頭を下げる。