警察の取り調べで、ギウは過去に詐欺の罪に問われ、指名手配されていたことがわかる。だから職につくこともできず高速道路でその日暮らしをするしかなかったのだ。
ギウはその場で逮捕され、母のジスクと子供たちは釈放される。だが、彼らに行く当てなどない。雨の降りしきる警察署の玄関で雨宿りをしていると、見かねたヨンソンが自宅に来ないかと提案する。
手を差し伸べたヨンソンもまた、世話を焼くことで、過去の後悔に報いようとしているようだった。こうして、ヨンソンが営む家具屋の休憩所を仮の住まいとして3人は暮らすことになり、ヨンソン夫婦や家具屋の従業員と疑似家族のように関係を築くことになる。娘は小学校へ通う準備を始め、息子はヨンソンの夫ドファンや家具屋の従業員と戯れる。
残された3人は、こうして善意を受けながら社会に復帰していく。一方で、父のギウは留置所を脱走し家族の元を目指す。
新たな生活を歩み始めた3人と元の生活を取り戻そうとするギウ、そして、過去のトラウマをジスクらに重ねるヨンソンと、生活圏に急に他者が侵入してきたヨンソンの夫ドファンの、それぞれの思いが錯綜し絡み合っていく。
これが物語の大まかなあらすじだ。
この映画を見て、まず印象的だったのは、高速道路で生活する家族の姿が徹底的に、仲睦まじく幸せそうに描かれる点だ。
サービスエリアのフードコートでの食事はご馳走を囲むように見えるし、サービスエリア間を徒歩で移動するシーンはハイキングのように見える。状況的には明らかに深刻な事態であるにもかかわらず、深刻さを一切感じさせない。なんならユーモラスで楽しげでもある。
ただ、この家族、とりわけ子供たちにとって、家族=社会と言っても過言ではないほど社会は狭い。それは「お腹が空いていないと思えば良い」「痛くないと思えば良い」とギウが言い、家族が笑い合うシーンでも象徴的だ。明らかに笑ってはいられない状況なのだけど、状況が深刻になるほど感情は抽象的になる。特に子供たちは、大雑把な幸せや家族愛のような幸せになんとなく包まれてしまうのだ。
序盤に描かれる家族の生活風景でもわかる通り、この映画では、意識的に子供たちに視線が向けられる。家族以外の社会を知らない子供たちにとって、その日暮らしの生活は、不満や疑問はあれど幸せな生活であった。(少なくともそう撮られている)