【幻滅】目先の快楽と自らの矜持を、天秤にかけずとも生きていけたなら

こうしてリュシアンは王党派の新聞で執筆を開始するが、当然ながら「コルセール・サタン」紙からの怨みを買う。

株主であるフィノはリュシアンの前借りを盾にそのぶんだけの記事を書けと迫り、リュシアンは渋々「匿名なら」と応ずるが、それはフィノを中心とした自由派の報復だった。「コルセール・サタン」紙は約束を反故にし、王党派を──法務大臣をも中傷する記事を記名のまま掲載する。そしてリュシアンが買収したサクラ要員の大将・サンガリは自由派の差し金で彼を裏切り、コラリーの舞台をめちゃくちゃにする。

王党派からも自由派からも爪弾きにされたリュシアンは一文なしとなり、最愛のコラリーも持病である結核から肺炎を引き起こし、息絶える。けれども彼は、コラリーの墓さえ建ててやれない。まるで粗大ゴミのように地下に埋められるコラリーをどうすることもできないリュシアンは、絶望の末に故郷へ帰る。

ひとりぼっちになったラストシーンのリュシアンの背中は、ずいぶんとちっぽけで心許なかった。彼は、ifのぼくだ。もしもぼくがもの書きとしての矜持を捨てていたなら、きっとリュシアンと同じく破滅の道を辿っていた。

“「外国人の恋人をGETする方法」というテーマで、恋愛コラムを書いてくれないか。今はK–POPアイドルが流行っているから、「韓国人彼女」や「韓国人彼氏」の需要が高まっている。「白人の恋人」人気も、同じく高い。日本と韓国とロシアのミックスであるあなたならば日本人の気持ちも韓国人の気持ちも、ロシア人──白人の気持ちもわかるだろうから、ぜひ執筆いただきたい。けれどもセクシュアリティが「女性ではない」ことは伏せた上で、あくまで「女性目線」で執筆してほしい。もちろん原稿料はそれなりに払う。画像も構成もキーワードもこっちで用意するから、マニュアルに従ってそれっぽく書いてくれればいい。” ──ここまで直接的な表現ではなかったにしろ、このような依頼が来たのは1回や2回ではない。

たしかに割のいい仕事だ。内容が決まっているものを、読みやすく面白おかしく書き上げればいいだけ。この物語の唯一の良心であるコラリーに倣い、正直に告白しよう。提示された金額に、実はぐらついたことがある。アンコンシャス・バイアスを多分に含んだ依頼文に呆れと怒りを覚えつつも、仕事内容の手軽さと原稿料に目が眩みかけた。当時はまだ駆け出しで実績もなかったからこそ、目先の利益を優先しそうになったのだ。

引き受けなくてよかった、と心から思う。書き手としてのプライドを手放した途端、ぼくのライターとしての価値は消滅していた。アイデンティティを偽ってものを書いていたら、きっと「書く」という行為自体の神聖さを見失っていただろう。破滅の道を辿ったリュシアンのように。

目先の快楽に溺れるな。大切なものを見誤るな。矜持を捨てるな。書き続けたいと思うのならば、地位や名誉の誘惑に負けるな。リュシアンがついぞ爵位を手に入れられなかったのと裏腹に、ぼくは日本国籍を手に入れた。でもだからって、差別や排斥を無かったことになどしない。ミックスルーツであること・元在日コリアンであることを、「ウリ」になんてしたくない。そんなことをしてしまったら、きっとぼくは削れていってしまう。

社会的地位よりも、富と名声よりも、享楽的生活よりも、大事なものはなにか。常に自らに問い続けながら、書き続けたい。ただそれでも、そんなことを天秤にかけずとも生きていける社会がいい。そうだったらリュシアンもぼくも、きっと、もうちょっと楽に呼吸ができていたはずだ。

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■幻滅(原題:Illusions perdues、英題:Lost Illusions)
監督:グザヴィエ・ジャノリ
原作:オノレ・ド・バルザック『幻滅 メディア戦記』
脚本:グザヴィエ・ジャノリ
脚色・台詞:グザヴィエ・ジャノリ、ジャック・フィエスキ
撮影:クリストフ・ボーカルヌ
編集:シリル・ナカシュ
美術:リトン・デュピール=クレモン
衣装:ピエール=ジャン・ラロック
キャスティング:ミカエル・ラガン
プロダクションマネージャー:パスカル・ボネ
出演:バンジャマン・ヴォワザン、セシル・ド・フランス、ヴァンサン・ラコスト 、グザヴィエ・ドラン、サロメ・ドゥワルス、ジャンヌ・バリバール、ジェラール・ドパルデュー、アンドレ・マルコン、ド・ドゥ・ランクザン、デニッセ・アスピルクエタ、ジャン=フランソワ・ステヴナンほか
配給:ハーク

(イラスト:Yuri Sung Illustration

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ライター。修士(学術)、ジェンダー論専攻。ノンバイナリー(they/them)/日韓露ミックス。教育虐待サバイバー。ヤケド注意の50℃な裸の心を書く。