狂気の沙汰である。
納得できる理由が見当たらないし、急すぎてわけがわからない。きのうまで上手くいっていたのに?なぜ?パードリックも、観客も、大いに困惑する。
コルムの言い分としては、限られた人生の時間を、芸術に費やしたい。だから、お前みたいな退屈な奴と話している時間はないということだそう。理解はできなくないと思った。
しかし、説明が足りないし、ほかにやり方があったはずだ。目の前の狂気的な(しかも、きのうまで親友だと思っていた)相手が何を考えているか、まるで理解できないというのは、恐怖としか言いようがない。
相手が何を考えているのか全く読めないという状況は、人に恐怖心を抱かせる。強い恐怖心を抱いた時、人は自分を必死に守ろうとする。狂気的なコルムを前に、パードリックは次第に攻撃的になっていく。あんなにやさしかった彼が変化していく様子は、悲しくてやりきれなかった。
時にやさしいのは、もっとつらい
なかでも印象的だったのは、警官から理不尽に殴られたパードリックをコルムが助けるシーン。パードリックが起き上がるのを手助けし、馬車で家まで送っていく。パードリックはコルムのやさしさに涙するが、それでも二人は関係を修復することができない。
コルムがずっと頑なに攻撃的ではないことが、逆に残酷さを感じた。仕方がないけれど、人間の情緒は一定ではない。パードリックとコルムも、どちらかが歩み寄れば、どちらかが引く。その連続だった。なかなかタイミングが折り合わない二人。戦いはヒートアップし続け、ラストまでそのまま突っ走る。
ラストシーンは、いろいろな捉え方ができる。わかりあえない部分もあるからよいのだ、というメッセージにも思えたし、この争いによってパードリックが退屈なだけじゃない人間になってよかったとも捉えられるかもしれない。しかし、彼らが以前のようにパブで仲良く飲み交わすことは、きっと、もうない。そう思うと希望を感じられなくて、私はとてもつらくなってしまった。
はじめは美しいと感じていたイニシェリン島の風景が、気づけば恐ろしいものとなっていた。不条理を前に、つかみどころのない大自然の脅威から抜け出せないようで、体温がすこし下がるのを感じた。