ひとりの少年が夢見た映画の世界と、抱き続けた“向こう側”への愛

スピルバーグ監督作品の中だと、2018年公開「レディ・プレイヤー1」も鑑賞したのだが、こちらはより彼の映画に対する愛が具現化されており、エンターテインメントとして感じ、楽しむことができる作品だった。

作中には、数々の映画のオマージュが見てとれる。「エルム街の悪夢」や「マッドマックス」、「AKIRA」や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」などがその一端だ。中でも私が印象に残っているのは、ホラー映画の金字塔と呼ばれる「シャイニング」のオマージュ。ジャンルも年代も関係なく、映画への賛辞のために創られた映画、といわんばかりの作品である本作を観て、スピルバーグの“映画オタク”としてのスピリットをひしひしと感じるに至った。

「レディ・プレイヤー1」での遊び心満載な作風を見るに、やはり彼は心に少年を宿しているのかもしれない。いや、心が少年のまま大人になり、映画を撮っている時には子どものような笑顔を浮かべながらカメラを回しているのかもしれない。

アカデミー賞授賞式に参加している時の姿を見ても、“映画好きのためのお祭り”という風に、リラックスして他の参加者と談笑している。笑った顔があどけなく、オスカーを獲得した俳優から「Thank you,Steven!」と涙ぐみながら名前を呼ばれると、投げキッスを贈るお茶目ぶりだ。

“映画の良さ”とは一体何なのか、突き詰めると深い問いになり、万人によって違う答えが返ってくる。まるで哲学だ。そして、またそれも“良さ”であり、映画という芸術の奥深さを雄弁に語ることとなる。

スピルバーグがそういった人々の集合知的な“映画の良さ”を凝縮させ、作品として世に出しているのは、彼こそが“映画の良さ”をきっと誰より感情のコアとして感じているからではないだろうか。少年の頃の心を忘れずに、楽しみながら映画に向き合っているからこそ持続されるクリエイティビティは、今も燦然とスクリーンの中で輝き続けている。「フェイブルマンズ」でその輝きを観られるのが心から待ち遠しい。

映画好きのための、映画好きによる、映画好きに捧げる映画。

スピルバーグの作品は、これからも変わりなく観客に愛され続け、映画という文化に輝かしい光を差し込ませていくだろう。

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S H A R E
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日芸文芸学科卒のカルチャーライター。現在は主に映画のレビューやコラム、エッセイを執筆。推している洋画俳優の魅力を綴った『スクリーンで君が観たい』を連載中。