先に挙げた「E.T.」然り、「未知との遭遇」然り、スピルバーグはSFにロマンを見出し、巨大なスケールの中に人間ドラマを描き出す手腕に長けている。私がもし映画評論家なら、スピルバーグが夢想した近未来の様相について持論を交え小3時間は語っていることかと思うのだが、今回着眼したのは、氏が“映画好き” であることによるラストシーンの創出だ。
個人的に「A.I.」のラストシーンは他に類を見ないほど傑出しており、背筋が粟立つほど美しいものだと思っている。母親の腕に抱かれ幸せそうに眠る主人公・デイビッドの寝顔を捉え、次第に遠くなっていくカメラワーク。一度見たら忘れられないし、夢にまで見るほど切実に胸を打つ名シーンだ。
映画「フェイブルマンズ」では、スピルバーグの少年時代が登場する。幼い頃に映画を観て感動したことが、創作における原点となっているようだ。
ちょうどその時の彼は、「A.I.」の主人公・デイビッドと同じくらいの歳だった。スピルバーグはデイビッドにかつての自分を投影させ、「映画の中に生きる永遠の少年」として描きたかったのではないかと感じる。
スピルバーグにとって、映画に出会った少年時代というのはもう二度と戻れない稀有な瞬間だった。だから、少年を主人公にした「A.I.」にも特別な感情があったに違いない。「A.I.」のラストシーンには、彼が幼少期に初めて覚えた「映画へのリスペクトと愛」が込められている。昨今まで映画を撮り続ける理由となった原動力が体現されているからこそ、生涯忘れえぬ名シーンとなったのではないだろうか。
同様の思いを感じ取ったのは、ケネス・ブラナー監督の映画「ベルファスト」だった。ケネスはパンフレットに掲載されたインタビューで、幼少期に観た映画作品が自分に影響を与えていることを語っている。
映画監督の心を射止めた映画たち、というのが確かに存在し、そのことは創造者である彼らと鑑賞者の私の心の距離を縮めさせる。映画が好きだ──そんな純度の高い愛で、彼らとスクリーンを通して繋がれたような気持ちになるのだ。