本作は、「人が人を想う」物語だ。恋の話であり、家族の話であり、愛とエゴの曖昧な境目を緻密に描いた、“どこにでもいる人間”の話だ。
先月、現日本国総理・岸田文雄首相が、同性婚に関する法整備について、「社会が変わってしまう」と発言した。続いて元首相秘書官・荒井氏が、LGBTQ当事者に対する差別発言により、多くの人を苦しめたことは記憶に新しい。
同性婚の在り方について、「なぜ法的な婚姻制度にこだわるのか」との声をよく耳にする。ではなぜ、異性間は法的に入籍している人が多いのかを考えてみたことがあるだろうか。
急病などの緊急時に、手術同意書にサインできない。同一世帯と見做されないため、共同名義のローンが組めない。どちらかが障害を患っていたり、介護が必要な状態になっても、扶養対象になり得ず、介護休暇の取得もできない。パートナーの死後に待ち受ける、遺産相続のトラブル。
法的結婚が認められないことで被る数々の不利益は、少し調べればいくらでも出てくる。「お気持ち」だけで「結婚したい」と言っているのではない。異性であろうと、同性であろうと、大切な人と共に生きる上で、婚姻制度を必要としている人がいる。ただそれだけの話だ。
ひとりの人間がひとりの人間と出会い、恋に落ちた。その先で、「家族」として共に生きることを願った。そういうシンプルな話が、シンプルに伝わらない社会は、むしろ変わるべきではないかと私は思う。
「相手の人が男でも女でも、そんなのどっちだっていいじゃない。大切だと思える人に出会えたことが、何より大切なことでしょう」
龍太の母親が浩輔に伝えた言葉が、多くの人に届けばいい。目にした人が苦しむ言葉ではなく、こういう言葉こそが、広く届けばいい。
言葉は、人を守るためにある。傷つけるためにあるんじゃない。吐き捨てるように表に出せば、刃になる。そっと手渡すように丁寧に紡げば、盾になる。