瀬戸内海に浮かぶ島で、漁師として生計を立てている憲二は、数年前の豪雨災害で妻と息子を亡くしていた。傷心により心を閉ざした憲二と、島を訪ねた凛子、そして島民たちの心の交流を描く物語。
2018年の西日本豪雨をきっかけに、広島を拠点にCMディレクターとして活動する宮川博至が作品づくりに着手、監督・脚本を手掛けた。主演は「寝ても覚めても」「スパイの妻」「Blue」の東出昌大。
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薄曇りの空に吸い込まれていく黄色い風船を観ながら、ぼくは映画館の座席で、同じ色の宝石のことを思い出していた。
はんめの──祖母の宝物だった指輪にくっついていた、黄色いキラキラの石。「私が死んだらあんたにやるわ」と何度も繰り返し言うものだから、絶対に自分が受け取るものだとばかり思い込んでいたのに、それは今ぼくの手の中にない。
「はんめ」というのは、「おばあちゃん」を意味する釜山の方言だ。様々な事情が絡み合って、数年前からはんめと連絡が取れなくなってしまっていた。まるで天災のように、自らの力の及ばぬ理由で。はんめの訃報を受け取ったのは、いったいどうしたものかと頭を抱えていた矢先のことだった。はんめがこの世を去ってから、すでに1ヶ月以上が経っていた。
青天の霹靂、寝耳に水。
電話口で母の泣き叫ぶ声を聴きながら、そんなことわざが目の裏に浮かぶ。
いやいやいや、さすがにそれはないでしょ。
そりゃあ年も年だったけど、いろんなことを忘れていったりもしてたけど、でもあのひと賞味期限切れの弁当食ってもピンピンしてるほど丈夫だったじゃん。もしも明日ふいに思い立って京都に行って「駅に着いたから迎えにきて」と電話をかけたら、すぐにでも愛車の白いメルセデス・ベンツを飛ばして迎えに来てくれるような、そんな気さえする。もう1年半が過ぎてきるというのに。
憲二も、そうだったのだろうか。毎日まいにち、来る日も来る日も欠かさず上げ続けた、黄色い風船。「帰りを待ってる」の合図のそれは、つまるところ妻と子が「いつか帰ってくる」と心のどこかで思い込んでいる証左に見えた。
映画「とべない風船」は、2018年に西日本を襲った豪雨災害をベースにした物語だ。梅雨が息をひそめ、夏の準備を始めるころに、突如それはやってきた。ぼくはそのころ大学院を修了したばかりで、当時の職場から京都に慌てて電話をかけたのをよく覚えている。「こっちは大丈夫や」と、昼寝から叩き起こされて眠たそうな声が返ってきただけだったけど。