【ケイコ 目を澄ませて】積み重なる小さな日常に、感覚を澄ますこと

と同時に、作品に対して、ある違和感を覚える。

これらすべての音は、ケイコには聞こえていない音なのだ。

主人公には聞こえていない音が、あえて印象的に表現されている。「あなたには、聞こえているはずですよね」と突きつけられたような気がして、どきりとした。聞こえているのに、ちゃんと聞いていなかったことを自覚する。鑑賞後、次の三宅監督のインタビューを読んで、はっとした。

本作のリサーチを通じてもっとも強く感じたのは自分が聴者であることの再認識でした。そう意識すると当たり前に聞こえていた音が、感じていた世界が、まったく違ってみえてくる。自分がどういう人間であるかを改めて知ることで他者が世界をどう見ているのかをはじめてしっかり想像することができた気がします。

(AERA 2022年12月12日号)

これまで私は、自分の感覚や感情、思考を失くして相手になりきろう、すべてをわかろうとしてきた。だから、うまくいかなかったのだ。冷静に考えてみれば、そんなことは無理に決まっている。他者は、自分ではないのだから。

他者のすべてを理解するのは不可能だけれども、自分の感覚を自覚することで、もうすこし他者と寄り添うことはできるかもしれない。それが、きっと相手に対するリスペクトであり、人とともに生きること。もちろん、他者とのちがいは聴者であるかどうかだけではない。あらゆる他者との関係、すべてに当てはまることである。

私の中には、今も「他者を理解することを諦めたくない」と思う自分がいる。このことは、感覚を澄まして自分がどういう人間かを考えてみて気がついたことだった。他者を理解するために、まだできることがある。本作を見て、すこし希望を感じることができた。

澄ませた一瞬一瞬を、忘れない

音のない世界に生きるケイコは、不安や葛藤に押しつぶされそうになりながらも、いつも必死に目を澄ませていた。たとえば、閉鎖することになったボクシングジムの会長と2人で練習するシーンでは、鏡に映る会長の動きを見て、真似て、心を通わせていく。その日のトレーニングノートには「ずっと目を開けていると 乾いてきて涙が出そうになる」と書かれていた。

練習メニュー。課題。笑ったこと。気持ち。トレーニングノートの彼女は、決して饒舌ではない。しかし、確かに彼女が目を澄ませた、書き残すべき一瞬一瞬がそこにあった。日々が「小さく、ゆっくり、でも着実に」積み重なっていることを、トレーニングノートが教えてくれる。

時に悩み、時に殴られながらも、常に目を澄ませ、ひたむきに歩むケイコ。弱さを抱えながらも、前を向き続ける強さは、すこし苦くて、でも、とても美しかった。

ケイコのように感覚を研ぎ澄ますことができているだろうか。小さく、ゆっくり進む日々を、こぼしていないだろうか。自分の毎日を振り返り、胸が痛くなった。 G列13番を離れ、映画館の外に出る。鑑賞し終えた人の音と、これから映画館に入っていく人の音が交差する。ドアの手触り。空気の冷たさ。街のにおい。感覚を澄ませながら、静かに歩く。私の日常が、小さく、ゆっくり、でも着実に、変化した瞬間だった。

■ケイコ 目を澄ませて
監督:三宅唱
原案:小笠原恵子『負けないで!』
脚本:三宅唱、酒井雅秋
撮影:月永雄太
照明:藤井勇
録音:川井崇満
手話監修:越智大輔
出演:岸井ゆきの、三浦友和、三浦誠己、松浦慎一郎、佐藤緋美、中島ひろ子、仙道敦子ほか
配給:ハピネットファントム・スタジオ

(イラスト:Yuri Sung Illustration

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東京在住。コピーライター。好きな映画は「ファミリー・ゲーム/双子の天使」「魔女の宅急便」。