本作に込められた一番のメッセージは、「絶望の中にも希望はある」という前向きなものだった。しかし、それを理解した上で、私にはラーゲリでの日々は、あまりに救いがないと感じた。満足な食事も与えられず、絶えず空腹との戦いが続き、学びや娯楽を求める権利さえ奪われる。体を壊してもろくに治療さえ受けられず、家畜のような扱いをされる毎日にあって、心を病む者、命を落とす者が続出した。必死に見出した希望の芽をすかさず摘み取られる場面は、思わず目を背けたくなるほど辛いものだった。
なかでも、「営倉」と呼ばれる懲罰房へ投獄される処罰は、身の毛がよだつほど恐ろしいものだった。営倉は、「南京虫」の巣窟だった。縦2メートル、幅70センチの逃げ場のない箱の中で、無数の虫に襲われる。そんな拷問が、当時は平然とまかり通っていた。捕虜の人権を守るべく、待遇改善を求めて何度もソ連兵に抗議した山本は、そのたびに営倉に投獄された。その罰は、ときに1ヶ月にも及んだ。
本作で描かれたシベリア抑留は、戦争が生み出した地獄の断片に過ぎない。にも関わらず、その一部を目の当たりにしただけで、胃の底を炙られるような心地がした。もしこれが「映画」ではなく、「現実」のものとして目の前に迫ってきたら、私は正気を保てる気がしない。
どんな環境でも希望を捨てなかった山本は、素晴らしい人物だ。彼の遺書を家族の元に届けた、松田、新谷、相沢、原もまた、勇気と知性を振り絞り時代の荒波と戦った、勇敢な人たちだ。だからこそ、その姿や生き様を美談にしてはいけないと思った。
夫の死を知った瞬間のモジミの悲鳴。あれこそが、「戦争」の姿だ。希望も、人の命も、容赦なく根こそぎ奪われる。奪われた者は泣くしかない。地面を拳で叩きながら、ただ、泣くしかない。それでも立ち上がり、生きていく姿はたしかに尊い。でも、「奪われること」が日常の世界は、やはり大きな歪みを感じる。
家族に遺書を残す。そんなことにさえ、命がけの時代があった。そして今この瞬間も、国外では同じような痛みが繰り返されている。
「頭の中で考えたことは、誰にも奪えませんから」
生前、山本はこう言った。逆に言えば、「頭の中で考えたこと」以外は、容易く奪われたということだ。
思想の自由も、言論の自由も、現代のこの国では守られている。この「自由」が、今後も守られてほしい。ストレートな思いを歌にした人が捕まるなんてあってはならないし、愛する人が戦に発つ瞬間、「万歳」を強いられる世界なんてまっぴらだ。誰だって、愛する人には生きていてほしい。「お国のために」命を捨ててなんかほしくない。
私たちは、盤上の駒じゃない。人だ。
「一等兵じゃありません。山本です」
出会って間もない頃、凛とした表情でそう言い切った山本を、相沢は殴った。「人間をやめないと生き抜けない」と感じていた相沢にとって、どこまでも「人であろうとする」山本は直視できない存在だったのだろう。それでも、最後には相沢は、彼を名前で呼んだ。「お前」でも「一等兵」でもなく、「山本」と呼んだ。私は本コラムにて、要約の意味で「ソ連兵」という言葉を使ったが、彼らにもまた名前があり、家族があり、それぞれの意志があったことは言うまでもない。