【恋愛の抜けたロマンス】愛の形が見えなくたって

osanai 恋愛の抜けたロマンス

仕事も恋愛も中途半端なジャヨンとウリが、ひょんなことからマッチングアプリを経由して出会い、ほどなく恋愛なしの関係が始まる。雑誌記者のウリは自身の体験を、アダルトコラムとして寄稿し、思いがけず人気コンテンツになってしまう──
主演は「バーニング 劇場版」「THE CALL」のチョン・ジョンソと、「恋愛体質〜30歳になれば大丈夫」「私の解放日記」のソン・ソック。監督はチョン・ガヨンで、本作が商業映画デビュー作となる。

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「よく考えてみて、自分が女(男)なら、自分に惹かれる?『そうだ』『ややそうだ』『普通』『やや違う』『違う』の5つのうちから選んで」

映画「恋愛の抜けたロマンス」で、主人公のジャヨンが、出会い系アプリで知り合ったウリに対して問うた質問だ。

あなたなら、どれを選ぶだろうか。トラップだとは思わず、ぜひ率直に答えてほしい。(質問の種明かしは、本テキストの最後に記します)

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さて本作だが、タイトルに「恋愛の抜けた」という表現がある。ただ実際のところは、どこをどう切り取っても恋愛ドラマには違いない。

そもそも、恋愛ドラマとは何だろうか。

異性にせよ、同性にせよ、ふたりの人物がいる。場合によってはもうひとり、恋のライバルのような存在がいる。最初の時点では、お互いを恋愛対象として見做していない場合もある。いがみ合っていたり、ただの友達だったり。でも最終的に、観客はちゃんと恋愛を目撃できる。

エンディングは、だいたい二分される。

カップルとして継続していくハッピーエンディングなのか、涙なしで見れない今生の別れの物語なのか。どちらも共通しているのは、愛が「見える化」されていること。「好きだよ」「愛している」といった言葉は見える化の象徴であり、分かりやすく愛が表出して、観客の心に印象付けられる。

たぶん僕たちは、愛の形を慢性的に見落として / 見失っていて。その形がクッキリと見え、疑似体験ができるからこそ、恋愛ドラマに需要があるのではないか。形が見えなくても愛は成立するけれど、手触りを感じられるような感覚を、時々無性に欲してしまうのだ。

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S H A R E
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株式会社TOITOITOの代表です。編集&執筆が仕事。Webサイト「ふつうごと」も運営しています。