1970年代のアメリカ、ハリウッド近郊のサンフェルナンド・バレーで暮らす25歳のアラナと、15歳のゲイリーによる恋物語。
監督は「マグノリア」「パンチドランク・ラブ」「ザ・マスター」のポール・トーマス・アンダーソン。主演はアラナ・ハイム、クーパーホフマンが務めた。ともに本作が映画デビューとなる。タイトルのLicorice Pizzaとは、カリフォルニア州南部で店舗展開していたレコードチェーンの名前に由来している。
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何から話せば良いんだろう。
久しぶりに会った友人と近況を話し合った後で、不意に空白が生じることがある。空白を埋めようと継ぎ足す言葉は、罪のない世間話のよう。どこにも吸い込まれず、虚空へと消えていく。
「何者にもなれない」欲求不満
映画「リコリス・ピザ」を観て、主人公のアラナとゲイリーのやりとりに感じるのは、ふたりの会話の「ちょうど良くなさ」だ。
フジテレビ「全力!脱力タイムズ」内の人気コーナー「脱力コンプライアンス委員会」でヒコロヒーが時折口にする「芯を食っていない」という言葉がある。まさにそんな感じで、ときどき軽すぎるし、ときどき重すぎる。どっちもどっちという感じもするけれど、25歳のアラナに6割5分くらい非がありそうだ。
時折アラナは、精神安定剤が切れたかのような立ち振る舞いを見せる。「肛門」を意味する放送禁止用語で不満をぶちまけたり、唐突に選挙スタッフのボランティアを始めたり。何者にもなれない欲求不満、その鼻息の荒い感じは痛々しさすら感じる。
でも白状しよう、僕はアラナにロック・オンされてしまった
未だかつて、口が半開きで、不機嫌でもないのに眉間に皺を寄せているヒロインを見たことあるだろうか。
ヒロインに「皺らしきもの」が見受けられたら、即、Photoshopで補正する時代だ。ルッキズムだなんだといわれつつも、易々と補正が是とされるのは需要があるから。どれもこれも判を押したかのような「ルックス」が量産されるのは、もはや必然で。ブルース・ウィルスの「サロゲート」的な社会の到来を待たずとも、コロナ禍によって、「だいたい同じような感じ」が街を支配されるようになった。
そういう時代だからこそ、「生っぽい」アラナが魅力的にみえたのかもしれない。
主人公を演じるアラナ・ハイムと、クーパー・ホフマンに演技経験がないことはよく知られている。アラナはもともと姉妹でHAIMというバンドを組むアーティストだ。それゆえ、演技の最中、堪えられずに笑いが込み上げるような場面も見られた。
それを許容したのが、ポール・トーマス・アンダーソンのディレクションということに尽きるのだが……。精密にデザインされた映画では得られないような偶然の邂逅、魅力たっぷりのアラナに釘付けになったというわけだ。