トム・ハーパーと、その妻・メアリーはスコットランド最北端の村でささやかな日々を過ごしていた。妻の死後、悲しみに暮れたトムは妻との約束を思い出し、イングランド最南端のランズエンドへと路線バスで向かうことを決意する。トラブル続きの旅のかたわら、乗客や地元住民との温かな交流も描かれている。
監督は「ウイスキーと2人の花嫁」「グッバイ・モロッコ」のギリーズ・マッキノン。主人公のトムをティモシー・スポールが演じた。特殊メイクなしで30歳近く年老いたティモシーの演技や佇まいも話題となっている。
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突飛な設定を、「それらしく」仕上げる人がいる。
凡人ではどう足掻いても繋がらないパズルのピースが、彼らの手にかかればぴたりと当てはまる。それはまるで手品のよう。1948年生まれ、グラスゴー出身の映画監督、ギリーズ・マッキノンもそのひとり。
例えば、彼が手掛けた映画「ウイスキーと2人の花嫁」。ウイスキーの配給が止められ、無気力に陥った島民たちの悲喜を描く作品だ。笑っちゃうくらい覇気がない島民は、ウイスキーが積み荷された難破船の情報を聞きつけると、なりふり構わずウイスキーの獲得に精を出す。法律を遵守しようと意識など微塵も感じられない。
最終的に心温まるヒューマンドラマに落ち着いたのは、考えてみれば不思議である。本質的には何も解決しない状態で、「まあカップルが生まれたのだから、めでたいじゃないか」という祝福モード。張りぼてに過ぎない状況でも、祝福は熱心に行なわれている。みんなが幸福という「収まり」の良さに、つられて心を寄せてしまう。
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むしろ出発点がズレていればズレているほど、「収まり」の良さとともに、心地良いギャップを生むのかもしれない。
最終的に帳尻を合わせること。映画監督というより、経営者の手腕に近い。四半期の業績が悪くとも、「1年」というタームでは増収増益を達成するような。(もちろん帳尻が合わなかったら、相応の非難を浴びることになるのだけれど)
彼の最新作「君を想い、バスに乗る」も、突飛さをベースに物語が動き出す。
90歳の主人公・トムは、妻の死をきっかけに旅を始める。肺ガンに侵され、余命数か月を宣告されているトムは、自分の残り時間を慈しむように、妻との思い出の地を路線バスで辿っていく。その距離、実に1,300キロ。スコットランド最北端・ジョンオグローツから、イングランド最南端・ランズエンドまで。
なかなか、長い旅路である。
筆者は大学生のとき、グラスゴーからロンドンまで特急列車で向かったことがある。約600〜700キロほどで、6時間ほどのかかった記憶がある。トムの道のりに比べれば楽なものだが、実に退屈な時間だった。
だから正直なところ、「飛行機で行けよ」という思いは拭えなかった。
イギリス全土にわたりバスの交通網が充実しているとはいえ、ガタガタと揺れる車体に耐えながらの移動は正気の沙汰ではない。長距離バスに乗った経験のある人ならば、その据わりの悪さを知っているだろう。出発と停止が繰り返される路線バスに、朝から晩まで毎日乗るのだという。10代のロードムービーならまだしも、「90歳のおじいちゃん」の物語とするのは、いささか難儀ではないか。
「君を想っていても、バスにだけは乗らない」
そんな意地悪な言葉を投げ掛けたくなるほどだ。