【君を想い、バスに乗る】路線バスにこだわった、90歳のロードムービー

前言をいとも簡単に撤回するようだが、フィクションを扱える映画というメディアにおいて、「リアリティの追求=評価」というのは一面的なものだとも思う。

90歳、余命数か月のおじいちゃんによるロードムービーは、つまり、やがて「老い」に向かう人々にとっての未来日記のような位置付けになり得る。何かを獲得し、それをゆっくりと失っていくのが人生だとして。晩年、僕らは失ったものを取り戻す旅をするのかもしれない。トムのように、まるで路線バスに乗るように。

「君を想い、バスに乗る」にひっそりと横たわっているのは、ささやかな愛だ。愛と呼ぶのを躊躇うのであれば「想い」という言葉で代替しても良い。「何かをやろう」と心に決めたとき、それがいかに困難なことであっても、達成に向けて力を注ぐのは人の常だ。「これを成し遂げたい」と思う気持ちが強ければ強いほど、良くも悪くも達成に向けて人は執着していく。

アスリートが勝利へ向かってひたむきに駆ける姿に、なぜか心が動く。動いてしまう。何かに「ひたむき」に向かう姿に、かつての自分が重なるからだ。あんなに受験勉強したなとか、甲子園目指して練習したなとか、好きなあの子に振り向いてほしいと思ってたっけなとか。友達と公園で走り回っていた記憶でも良い。僅かにも存在していた、かつての「ひたむき」な気持ちを、アスリートに見出しているのだろう。

トムは、何を言われてもただただ先を急ぐ。「少し休んだらどうか」という厚意も、ありがたく頂戴するが……といった感じで固辞してしまう。路線バスというスローな旅にも関わらず、1秒でも先に進むことをトムは望むのだ。

周囲からは不合理な旅に思われていただろう。だがトムは、どれだけ滑稽にみられても構わないように見えた。「路線バスで、目的地にたどり着く」という想いは明確で、揺るがない。口をへの字に曲げ、来る日も来る日も路線バスを待ち、乗り続ける。

フィクションだと馬鹿にするなかれ。

「突飛」に思える設定も、それが人生の必然と重なることがあるのだ。

*

最終的に辿り着いた土地で、トムの一挙手一投足を追いかけていた人たちが、彼に温かい拍手を贈る。映画における感動的なシーンのひとつだ。

だがそれさえも、トムにとっては「どうでもいい」反応なのだろう。その土地で「やるべき」ことを淡々と行ない、祈りを捧げる。トムは最後までブレることがなかった。

どんな行動も、続けていれば、やがてひとつの達成に辿り着く。好奇心とか、個人の成長記録とか、そういったロードムービーとは一線を画す、晩年の「ひたむき」を映した物語。

老いたとき、僕もトムのようでありたいと願ってしまっていた。

──

■君を想い、バスに乗る(原題:The Last Bus)
監督:ギリーズ・マッキノン
プロデューサー:ロイ・ボウルター、ソル・パパドプーロス
脚本:ジョー・エインズワース
撮影監督:ジョージ・キャメロン・ゲディーズ
プロダクションデザイナー:アンディー・ハリス
編集:アン・ソーペル
録音:フィル・クロール
音楽:ニック・ロイド・ウェバー
衣装:ジル・ホーン
出演:ティモシー・スポール、フィリス・ローガンほか
配給:HIGH BROW CINEMA

(イラスト:Yuri Sung Illustration

1 2
S H A R E
  • URLをコピーしました!

text by

株式会社TOITOITOの代表です。編集&執筆が仕事。Webサイト「ふつうごと」も運営しています。