【悪は存在しない】自分にとっての「許せない」は、絶対悪か否か

osanai 悪は存在しない

長野県の水挽町で、町の便利屋として働く巧は、娘の花とともに慎ましい生活を送っていた。ある日、町の近くにグランピング場をつくる計画を知らされ、町民は不安を募らせていく。
監督は「ドライブ・マイ・カー」の濱口竜介。本作は石橋英子のライブ用サイレント映像「GIFT」を制作する過程でつくられている。本作は主に、長野県諏訪郡の富士見町と原村を中心に撮影された。

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「善悪」という言葉は、ひどく曖昧なものだと感じる。映画「悪は存在しない」を鑑賞後、その思いはさらに強まった。登場人物たちの行動・言動に対し、私は正誤をジャッジできない。極限の最中にある人間がぎりぎりで選びとった決断を、安全圏からあれこれ言う気にはなれない。ただ、「この人はこの道を選んだのだな」と思った。何事においても、外側にいる人間にできることなど、その程度が関の山である。

物語の舞台は、架空の町である長野県水挽町。豊かな自然が広がる山林地帯は、映像の肝でもある。木々が立ち並ぶ山並みと、透き通った湧水、野生の鹿、朝日が昇りきる前のマジックアワー。海辺の景色とはまた違った、山でしか見られない一種閉塞的な自然の情景が、独特の視点で描き出される。

水挽町に住む巧は、地域に根付いた便利屋として生計を立てながら、一人娘の花を育てていた。湧水を汲み、薪を割り、暖炉の熱で湯を沸かす。そんな慎ましい暮らしを営む彼らの居住区域に、ある日、グランピング施設建設の話が持ち上がる。不安を抱きながら地元住民への説明会に参加した巧たちは、企業側の建設計画があまりにずさんであることを知る。

浄化槽の位置が、住民の資源である川の汚染につながる可能性が高いこと。管理人が夜間不在で、焚き火を原因とした山火事が懸念されること。グランピング建設予定地が、鹿の通り道であること。

「専門のコンサルが監修している」はずの計画は、コロナ禍による補助金を得たいがために即席で用意された雑な代物であった。

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S H A R E
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エッセイスト/ライター。エッセイ集『いつかみんなでごはんを——解離性同一性障害者の日常』(柏書房)刊行。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評・著者インタビュー『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『婦人公論』|ほか、小説やコラムを執筆。海と珈琲と二人の息子を愛しています。

エッセイ集『いつかみんなでごはんを——解離性同一性障害者の日常』(柏書房)
https://www.kashiwashobo.co.jp/book/9784760155729