喜久雄は、最終的に人間国宝の名誉を受ける。「人間国宝」は、言わずもがな国の宝だ。業深き人間が「宝」と崇め奉られるとき、そこに行き着くまでにどれほどのものを踏み越えてきたのか、そこに思いを馳せる人は少ない。しかし、踏まれた当人は決して忘れない。踏まれた痛みと、上り詰めた相手が放つ圧倒的な引力。相反するそれらに絡め取られて生きる周囲の人間は、それはそれで苦しかろう。
喜久雄は「ある景色を探している」と言った。その景色にたどり着けるごく一部の者だけが手にする栄誉と、どこまでも付きまとう孤独。双方を描く上で、人間の業が随所にさりげなく置かれている様は、これみよがしな悪辣さがない分、物語の軸足を損ねることがない。
「悪魔」に魂を売り渡した人間が、誰でも人間国宝になれるわけじゃない。人を傷つけた数ではなく、命を燃やして精進を続けた長い歳月が、喜久雄を“宝”なる存在に押し上げた。そこを見誤ってはならない。
喜久雄が切り捨ててきたもの。決して手放さなかったもの。両者を天秤にかけ、どちらが大切かを論じることは不毛である。それを決められるのは、喜久雄ただひとり。外側から誰かが決められる類のものではない。
本作をハッピーエンドとして捉えることが、私にはできない。同時に、悲劇だとも思えない。ただ一つの道を見定め、脇目も振らずひた走る男たちの物語を“女形”の役者という異例の形で描く。そこに宿る光と影は、どこまでも表裏一体である。
舞台の上で「死ぬる覚悟」を持つ者は、世の人々が思い描く幸福からかけ離れた場所で、その人だけが追い求める絶景に手を伸ばす。転がり落ちるも、崖っぷちでとどまるも、ある意味では運次第。歌舞伎に魅せられ、芸に溺れ、より高い評価を求めて舞い続ける喜久雄の生き様は、儚くも美しい。
壮大な舞台の裏側に、私たちは何を見るのか。人により異なるであろう景色の背後で、厳かな雪が降る。桜のように舞い散る雪は、光か、闇か。どちらであっても、そこに手を伸ばさずにはいられない喜久雄のような人間を、私は思いのほか、愛おしいと思う。
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■国宝
監督:李相日
原作:吉田修一『国宝』
脚本:奥寺佐渡子
撮影:ソフィアン・エル・ファニ
美術監督:種田陽平
照明:中村裕樹
音響:白取貢
特機:上野隆治
キャスティングディレクター:元川益暢
美術:下山奈緒
装飾:酒井拓磨
編集:今井剛
振付・舞踊指導:谷口裕和
振付:吾妻徳陽
歌舞伎指導:中村鴈治郎
音楽:原摩利彦
主題歌:原摩利彦 feat. 井口理「Luminance」
出演:吉沢亮、横浜流星、高畑充希、寺島しのぶ、森七菜、三浦貴大、見上愛、黒川想矢、越山敬達、永瀬正敏、嶋田久作、宮澤エマ、中村鴈治郎、田中泯、渡辺謙ほか
配給:東宝
公式サイト:https://kokuhou-movie.com/
