【国宝】世の人々が思い描く幸福からかけ離れた場所で、芸の道が魅せる絶景に溺れた人物の生涯

落ちぶれていく中、宵が深まるビルの屋上で女形の姿のまま踊り狂う喜久雄が、本作においてもっとも美しい。儚い憂いをまといながらも、内側に熱き血がたぎるのを抑えきれず、“演じたい”欲求が全身からあふれ出す。崩れた化粧と焦点の合わない瞳が、喜久雄の内面と悲しいほど重なる。きれいで安全な場所で、揺るぎない何かに守られて踊る人間のそれとは、まとう気配が根本的に違う。落ちても落ちてもしがみつき、何をしてでも這い上がる。どれほどのものを失っても芸を極めるのだと思い定めた人間にしか見えない景色があり、喜久雄はそちら側の人間であった。

役者が仕事であるならば、いくらでもやめることは可能でございましょう。しかしもし役者がその人の性根のことであるならば、いったいどこに性根を入れ替えられる人間などいるでありましょうか。

(吉田修一(2021)『国宝(下) 花道篇』、朝日文庫、 P387より引用)

吉田修一氏による原作『国宝』の一節である。本作で描かれる立花喜久雄という人間の生涯は、この一節に総括される。彼の生涯を通して、特異な才を持つ者の孤独が否応無しに畳みかける様も印象深い。喜久雄と俊介に稽古をつける人間国宝の小野川万菊もまた、孤高の人であった。病床の万菊が喜久雄に語った台詞は、特に忘れ難い。

「あなた、歌舞伎が憎くて仕方ないんでしょう。でも、それでいいの。それでもやるの」

「やめる」という選択肢を持てない人間が歩む道のりは、修羅であることが多い。ましてや、才能よりも血縁や人脈が肯定される世界で、より良い芸を生み出すことは獣道を歩むに等しい。本人の努力や才能が血縁だけに集約される弊害も含めて、喜久雄と俊介の道のりは、平坦とは程遠い。それでも、二人は歩み続ける。痛くても、苦しくても、たとえ死期を早めたとしても、歌舞伎の世界から足を抜こうとはしない。

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S H A R E
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エッセイスト/ライター。エッセイ集『いつかみんなでごはんを——解離性同一性障害者の日常』(柏書房)刊行。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評・著者インタビュー『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『婦人公論』|ほか、小説やコラムを執筆。海と珈琲と二人の息子を愛しています。

エッセイ集『いつかみんなでごはんを——解離性同一性障害者の日常』(柏書房)
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