【教皇選挙】僕らは未来を消費する

視聴者としての僕

自分でも残念だが、僕には選挙を界隈の視聴者として楽しんでいる部分がある。

民主主義の主体者として、主権者としてではなく、視聴者として選挙を見て、消費している実感がある。衆院選が終わって、与党が過半数を下回ったのを見て、これからおもしろくなるかもと思った。トランプ氏の発言や政策に嫌悪感を感じながら、どこか新しい社会実験を見るような視点で見ている自分がいる。選挙ポスターのハックや候補者に関する真なのか虚偽なのか不明な情報のリークも、リアリティショーに不可欠な事件の一つのように捉えているような感覚も拭えない。夏の参議院選にもまた何か起きるだろうなという予想には、何かが起きることを望む暗い期待が混ざっているようにも思う。

消費させられているのか、消費しているのか、もはや自分では区別できない。しかし、僕は、界隈にどっぷり浸って、この状況をどこか楽しんでいるのは間違いない。嫌になるが、それが自分の現状だということは受け止める必要がある。

コンクラーベで次期教皇として選ばれた枢機卿は、教皇として「インノケンティウス(Innocentius)」を名乗ることになる。かつてのローマ教皇が名乗ってきた、このラテン語名の英訳は純潔、無罪を表す「イノセント(innocent)」だ。

しかし、コンクラーベでの彼の振る舞いは本当に純潔、無罪だったと言えるのだろうか。彼もまた、他の候補者と同じように、選挙というリアリティショーで勝ち残るために、純潔さが切り取られるように振る舞っただけなのではないか。イノセントとは、人柄ではなく戦略の名前ではないか。彼だけが界隈の外にいるなんてことはありえるのだろうか。

また、この選挙結果の後に起きるだろう、さまざまな混乱を見ることができないまま、映画が終わってしまうことを残念にも感じている。コンクラーベでの一連の騒動が薄味に感じられるくらいの混沌を見てみたい。14億人を超える信者の存在を無視できる、視聴者の傲慢さと残酷さには際限がない。薄暗い欲望を抱える視聴者の僕は、しかし、そう思わずにはいられない。

そんな視聴者と紆余曲折を経て新教皇を選んだ枢機卿に、容赦なく冷や水を浴びせる、いや、頭から氷水をかけるのがラストシーンだったのだと思う。

長らく閉鎖された礼拝堂が開放され、シスターたちが数人で出てくる。おしゃべりしながら早足で歩く彼女たちは、これからお茶かランチに行くのかもしれない。ローレンスが死力を尽くしたコンクラーベは、視聴者が盛り上がったコンテンツは界隈だけのものだった。そして、それはもう過去のものになってしまった。そこには、別の消費者がいて、また別の形で消費をするのだろう。たくさんのコンテンツに触れて、シーズン2が始まる頃には、シーズン1のことなんて誰も覚えていないのだ。

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■教皇選挙(原題:Conclave)
監督:エドワード・ベルガー
原作:ロバート・ハリス『CONCLAVE』
脚本:ピーター・ストローハン
撮影監督:ステファーヌ・フォンテーヌ
美術デザイン:スージー・デイヴィーズ
衣装デザイン:リジー・クリストル
編集:ニック・エマーソン
音楽:フォルカー・バーテルマン
出演:レイフ・ファインズ、スタンリー・トゥッチ、ジョン・リスゴー、カルロス・ディエス、ルシアン・ムサマティ、セルジオ・カステリット、イザベラ・ロッセリーニほか
配給:キノフィルムズ
公式サイト:https://cclv-movie.jp/

(イラスト:水彩作家yukko

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1984年生まれ。兼業主夫。小学校と保育園に行かない2人の息子と暮らしながら、個人事業主として「法人向け業務支援」と「個人向け生活支援」という2つの事業をやってます。誰か仕事をください!