【ぼくのお日さま】光と影が同居するひと冬の物語。喉に詰まった言葉のゆくえを私は想像する

osanai ぼくのお日さま

アイスホッケーの競技に打ち込む小学生のタクヤは、同じコートでフィギュアスケートの練習に励むさくらに魅了されていた。コーチの荒川に誘われたことをきっかけに、自らもスケート練習に打ち込んでいく。
監督を務めるのは「僕はイエス様が嫌い」や、米津玄師「地球儀」のミュージックビデオ監督・撮影・編集を手掛けた奥山大史。本作はハンバート ハンバートの同名楽曲にインスパイアされて制作。楽曲は主題歌にも起用されている。

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スクリーンに映し出される光は、どこまでも優しく温かい。しかし、優しくない現実がたしかにそこにある。映画「ぼくのお日さま」は、そういう作品だった。

物語の舞台は、雪深い田舎町。普段は野球チームとして活動している少年団は、雪が降りはじめるとアイスホッケーの練習に切り替わる。少年団に所属するも、アイスホッケーと野球が苦手な少年・タクヤは、言葉がうまく出てこない吃音の症状を抱えていた。

ある日、タクヤはアイスホッケーの練習場で、フィギュアスケートに打ち込む少女・さくらに出会う。さくらの滑りに魅了されたタクヤは、知識もないまま自主的にフィギュアの練習をはじめた。そんなタクヤの姿に共感したのは、さくらのコーチである荒川。かつてフィギュアスケートの選手だった荒川は、段ボールにしまい込んでいたフィギュア用の靴をタクヤに手渡し、自らコーチを買って出る。

正しい姿勢や目線の高さなど、滑りの基本をタクヤに教え込む荒川は、実に生き生きとしていた。ひたむきに練習する姿、まっすぐにさくらを思う気持ち。その両方が大人の荒川には眩しく、だからこそ応援したくなったのだろう。やがてタクヤとさくらは、荒川の提案でアイスダンスのペア競技への出場を目指す。さくらのリードで徐々にペアスケーティングを身につけていくタクヤは、なんとなく“やらされている”野球やアイスホッケーの練習では持ち得なかった熱量で、日々鍛錬を重ねた。

この映画においてもっとも印象的なシーンは、屋外での練習風景である。林の中に広がる湖が冬の寒さで凍ってできた、天然のスケートリンク。そこで滑る少年と少女の姿は、息を呑むほど美しかった。お日さまの光が2人を照らす。つくり出された影が彼らの動きを追う。逆光でシルエットだけがくっきりと浮かぶ様は、まるで一枚の絵画のようであった。しかし、このあと物語は急展する。

さくらがコーチを思う気持ち。タクヤがさくらを思う気持ち。荒川(コーチ)が2人を思う気持ち。それぞれが絡み合い、捻じれて、ほどけていく。その過程は、決して優しいものではなかった。

荒川は、同性のパートナー・五十嵐と生活を共にしていた。LGBTQ+に当てはまる人々を描くとき、マイノリティが抱える生きづらさを記号化しているかのような作品が時折見受けられる。しかし、本作における荒川と五十嵐の日常を描いた風景は、殊更に何かを強調するわけではなく、ごく自然な流れとして表現されていた。だからこそ、荒川の恋人の存在を知ったさくらが、衝動に任せて荒川に投げつけた暴言はあまりに痛かった。

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S H A R E
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エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『BadCats Weekly』など多数|他、インタビュー記事・小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。