【ひろしま】もう二度と、同じ過ちを繰り返さないために。被曝当事者が訴える切なる願いとは

「広島県市民諸君よ、被害は大なりといえども、これ戦争の常なり」

原爆投下ののち、終戦に至るまで軍人が唱えていた言葉だ。

ふざけるな、と思う。こんなものが「常」である戦争を、なぜそもそもはじめたりしたんだ。私たちには言葉があるのに、なぜ爆弾や銃を使って人間に人間を殺させたりするんだ。

武力がもたらした結果が、幸福だった歴史がかつてあっただろうか。武力が人々に与えるものは、恐れと絶望、諦めだけではなかったか。大切な人が殺され、助かったとて手足をもがれ、原爆の後遺症で数年後に血を吐いて倒れる。そういう未来を見たいか、そういう未来を子どもたちに与えたいか。その答えは、「NO」でなければならない。

「You are gentleman.
papa,mama,ピカドンでhungry」

「hungry(ハングリー)」の意味さえ知らない子どもたちが、生きるためにこんな台詞を口にする。米兵の罪悪感に訴え、食べ物を手に入れる。そんな生活を、そんな日常を、子どもたちに強いるなんて私は嫌だ。

本作は、日本の大手映画会社から上映を拒否され、存在そのものを忘れ去られていた。大手の映画会社が本作の上映を拒否した理由は、ある場面が「反米的」と見做されたためであった。

篠原正瑛氏による『僕らはごめんだ:東西ドイツの青年からの手紙(*5)』(光文社/1952年出版)を、学生が朗読するシーンがある。以下は、そのうちの一部だ。

「ヒロシマとナガサキでは結局のところ、20何万かの非武装の、しかも何らの罪もない日本人が、あっさりと新兵器のモルモット実験に使われてしまったのだ」

続いて、日本が実験台となった理由として、「日本人が有色人種であるため」という主張が述べられる。そのくだりが反米的だと判断されたため、本作は長らく埋もれたまま、日の目を見ることはなかった。だが、制作から長い年月を経て、再び本作を世に送り出そうと奮闘する人物がいた。自身の祖父が本作の制作に携わっていた、小林開さんである。小林さんは、上映会やSNSなどを通して地道に発信を続けた。結果、2024年現在、本作は世界10カ国にまで広まった。

長崎で被爆した故人・谷口稜曄(すみてる)さんは言った。

《過去の苦しみなど忘れ去られつつあるように見えます。私はその忘却を恐れます――。》(*6)

私たちは、忘れてはならない。戦争体験者の数は、年を重ねるごとに減っていく。それでも、語り継がれた歴史は残り続ける。知ろうと思えば、史実はそこかしこにあふれている。忘却の彼方に歴史を置き去りにしていい理由など、どこにもない。

映画「ひろしま」の制作に、実際の被爆者含む広島市民が88,500人集まった理由。その人たちが伝えたかった切実な訴えを、私たちは直視するべきだ。目を背けたい現実から逃げていては、忘却が進んでしまう。その先で引き込まれる「戦争」という大罪に、私は決して加担したくない。

──

■ひろしま
監督:関川秀雄
原案:長田新『原爆の子〜広島の少年少女のうったえ〜』
脚本:八木保太郎
撮影:中尾駿一郎、浦島進
美術:平川透徹、江口準次
音楽:伊福部昭
出演:山田五十鈴、岡田英次、加藤嘉、月丘夢路ほか(広島原爆被害者、広島各労働組合員、園児・児童、生徒・学生・PTA・一般市民、延88,500人余人)
企画・製作:日本教職員組合

<参考>
*1:
忘れられた被爆者たちの原爆映画「ひろしま」(NHK)
*2:
人影の石(広島平和記念館)
*3:首相、総裁選へ静観一転 「自衛隊明記」議論の加速指示 ライバルに動き、埋没恐れ(朝日新聞デジタル)
*4:戦力不保持の9条2項削除し「自衛隊保有」を明記 自民議連が独自の改憲案(産経新聞)
*5:僕らはごめんだ : 東西ドイツの青年からの手紙(国立国会図書館サーチ)
*6:長崎、忘却を恐れる 「赤い背中」谷口稜曄さんの言葉、平和宣言に 被爆78年、増す核脅威(朝日新聞デジタル)

1 2 3 4
S H A R E
  • URLをコピーしました!

text by

エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『BadCats Weekly』など多数|他、インタビュー記事・小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。