【ひろしま】もう二度と、同じ過ちを繰り返さないために。被曝当事者が訴える切なる願いとは

やがて、ストーリーは原爆が投下された1945年に遡る。そこから先は、文字通り「地獄」の風景が広がっていく。爆風で全身に火傷を負った人々、母を呼ぶ子ども、子を呼ぶ母、防火水に飛び込んだまま息絶えた遺体、皮膚が爛れて体温調節が困難になり「寒いよー」と泣きわめく幼子、それに怒る大人、屍の山、山、山。

火の手が迫る中、瓦礫の下敷きになった妻を助けようと必死に足掻く男性の姿もあった。周囲に助けを求めるも、みな自分たちが逃げることに必死で、手を貸す余力はない。そんな中、妻は気丈にも夫を叱咤する。

「逃げて!逃げて!子どもたちをお願いします!」

「助けて」と言いたかったろうに、本当は怖かったろうに、どれほどの覚悟と思いで、妻は「逃げて!」と叫んだのだろう。「許してくれ」と妻に懇願しながら逃げる夫は、どれほど悔しかっただろう。生きながら焼かれる妻の苦しみ。妻を置いて逃げる夫の苦しみ。そこに混ざって、「大日本帝国万歳!」と叫ぶ軍人の声が聞こえる。国歌斉唱をしながら川に逃げ込む人々の姿が映り込む。死期を悟りながらも「お国のために」と己を納得させようとする人々の姿は、あまりに残酷で悲しい。

映画の序盤、教師が「原爆を受けたものは手を上げて」と指示すると、クラスの3分の1の生徒が挙手した。重ねて、教師が被爆した生徒に体の不調を訊ねた。それに対し、記憶力の低下や異常な倦怠感を訴えた女子生徒を、クラスメイトが揶揄した。その際、とある男子生徒が声を張り上げた。

「何がおかしいんだ!これだから何も言いたくなくなるんだ。セリザワくんの言ったことは、程度の違いはあっても、原爆を受けた者はみんな苦しんでいることなんだ。それに、口では言わないが、いつ原爆症に命を取られるかと思って、毎日ビクビクして生きてるんだ。そんなことを言えば、君たちはすぐ『原爆を鼻にかけている』とか、『原爆に甘えてる』とか言って笑うんだ」 

過去から連綿と続く「自己責任」の呪縛は、原爆被害者にまで向けられていたのかと唖然とした。被爆者が抱える困難や恐れは、誰かに後ろ指をさされるような類のものではない。そもそも、他人の痛みを軽視したり揶揄したりする権利など誰にもない。それなのに、多くの被爆者たちは熱傷によるケロイドを隠し、まるで自分が悪いことをしたかのようにコソコソしながら生きていた。

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S H A R E
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エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『BadCats Weekly』など多数|他、インタビュー記事・小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。