【ひろしま】もう二度と、同じ過ちを繰り返さないために。被曝当事者が訴える切なる願いとは

osanai ひろしま

終戦から8年後の広島で、授業中にひとりの高校生が倒れてしまう。広島での被爆を経験したことから、急性被爆の症状が疑われる。
長田新が編纂した『原爆の子〜広島の少年少女のうったえ〜』を、監督・関川秀雄により1953年に映像化。脚本は八木保太郎が務めた。本作には、原爆の被害を受けた一般市民を含む延88,500人が出演している。

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1945年8月6日、第二次世界大戦禍、広島に原子爆弾が落とされた。

人類の頭上にはじめて投下された原爆を運んだのは、3機のB29。投下すれば、爆心1キロ圏内では1人の生存も許されない。かつ、放射能による人体や土地への被害が甚大であることは攻撃の段階でわかっていた。にもかかわらず、戦後、各国では原爆投下を「戦争を終わらせた功績」として評価されるきらいがあった。信じがたいことに、被害を受けた日本でさえ、そのような考えを持つ人がいる。小学生時代の教師、私の両親などは、その類の考えを頑なに保持していた。しかし私は、こんなにも恐ろしい殺人兵器を人間に向かって投下した罪を、「戦争を終わらせた功績」などという安易な言葉で集約されたくない。

広島・長崎への原爆投下から8年後、「ひろしま」なる原爆映画が制作された(*1)。実際の被爆者たちが自ら演じた本作には、一般市民88,500人が出演。映画制作にあたり、多くの人が被爆した衣類や瓦礫を持ち寄ったという。

本作の舞台は、原爆投下から8年後の広島。中学生たちが授業で原爆投下について学ぶ場面から物語がはじまる。原爆投下の事実、それによる被害を教師が淡々と語る最中、ある女子生徒が「やめて!」と叫ぶ。その後、彼女は鼻血を出して倒れた。原爆症による白血病と診断された女子生徒は、弱々しい声で「死にたくない」と呟いた。

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S H A R E
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エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『BadCats Weekly』など多数|他、インタビュー記事・小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。