「PERFECT DAYS」がもつ人生のにがさ
今年10月に行われた東京国際映画祭で、ヴィム・ヴェンダース監督作「PERFECT DAYS」がオープニング上映された。第76回カンヌ国際映画祭で、役所広司が最優秀男優賞を受賞したことでも話題の作品である。
上半期のふり返り記事で私は、「テクノロジーの進化は人間らしさと対立しない」と書いたが、本当にそうなのか?と自問してしまう内容であった。
役所広司演じる平山の生活は、とても素朴だ。家の植物に水をやり、自動販売機で缶コーヒーを買って、公衆トイレの清掃業務を誠心誠意行う。週末はフィルムカメラの現像に行き、行きつけの飲み屋や古本屋に立ち寄る。同じ日常の繰り返しだ。
だが彼の姿を見ていると、満ち足りた生活の本質について考えさせられる。平山が一番幸せそうな顔をするのは、木漏れ日を見上げているときだ。
枝葉の揺らめきがうるんだ瞳にうつり、やわらかな笑顔を見せるのだ。なんてことのない道端や公園のはずなのに、特別な輝きがそこにはあるようだ。
そんな平山の元に予期せぬ訪問者があらわれてから、ドラマが展開する。平山の見せるわずかな苦悩が、この素朴な生活こそ彼の守りたいものだと物語っていた。
タイトルにもある「完璧な日々」とは何なのか。それは自分の好きなものを守りながら、手に入らないものを知ることではないだろうか。
決して良いことばかりではない人生で、それでも自分を幸せにしてくれる存在を愛でること。テクノロジーに頼る前に、そんなささやかな幸福を見つめられる豊かな心を培うことこそ、「完璧な日々」を過ごすための秘訣なのだ。