そこらじゅうにいる怪物たち
今年行われた第76回カンヌ国際映画祭にて、是枝裕和監督の映画「怪物」が日本映画としては初めてクィア・パルム賞(LGBTやクィアを扱った映画に与えられる賞)を脚本を手掛けた坂元裕二が脚本賞を受賞した。
「怪物」は、惹かれあう2人の少年と、その母親、担任教師の三つの視点から「怪物とはだれ、何なのか?」を描く、問題提起型の作品だ。
今作はあえて章立てをして、それぞれの視点で同じ時間軸を描くことで、当人しか知らない真実をそれぞれ浮き彫りにしていく。
小学校の同級生である湊と依里は、互いに惹かれ合うが周囲の人々はほとんど気づかない。依里がふつうではないと気づいていた依里の父親は「豚の脳だ」と罵り、矯正しようと虐待していた。
湊の母親の早織は、担任教師の保利が、湊に暴力をふるっていると思い、学校に訴える。教師達から早織は邪険にされ、モンスターペアレント扱いを受けていた。
一方で保利は、学校からの圧力で実際にはやっていない体罰を、認めさせられる。新聞記事に「風俗店に出入りしていた体罰教師」という根拠のない内容が取り上げられ、職も恋人も失ってしまった。
三者の視点で描かれる現実は少しずつ食い違っている。自分の目の届く範囲でしか物事を知れず、他者の考えには到底気づけないのだ。
湊のことを愛していた母親の早織、子どもたちを見守っていたつもりだった保利も、湊と依里の関係に気づくのは遅く、そのときには2人は姿を消していた。
湊は、母や保利の言うような「男らしさ」を手に入れられないこと、依里の父親が言うように自分はほかの人とは違うことで、自分を異質な存在、まるで怪物のようだと感じていたのかもしれない。
また、孫を亡くした伏見校長について、教師の一人が「孫を轢いたのってご主人じゃなくて校長だったんじゃないか」と保利に笑って話すシーンや、湊の同級生の母親が「保利が風俗に通っている。教師なのに……」と早織に吹聴した場面があった。
こういった人間の偏見や、他人への過干渉と無理解。他者への想像力や思いやりが欠如した行動こそ“怪物”だといえる。
時にそれは他者の人生に大きく影響してしまう。その点でルーカス・ドン監督作「CLOSE/クロース」は、「怪物」との繋がりを感じずにはいられない作品だった。