本は不思議だ。同じ本でも、二度目、三度目と読み返すたび、作品への印象が変わる。自分の年齢や立場により変化する味わいを楽しめるのも、本の魅力のひとつだ。映画の舞台である古書店では、本が人から人へとわたっていく。同じ人間が読み返しても感想が変わるのだから、読む人が変われば、それはことさらであろう。
“持ち主が変わり、新たな視線に触れるたび、本は力を得る。”
映画冒頭で紹介される、カルロス・ルイス・サフォン氏による小説『風の影』の一節である。同じ物語を読んだとき、人によって抱く感想に相違が生まれるのは当然のことだ。本作では、エシエンが本を読み終えるたび、リベロに感想を伝える場面がある。エシエンの感想を受けて、リベロ自身も作品に抱く想いを語る。二人の感想が一致するときもあれば、しないときもある。リベロは決して、自分の考えを押し付けたりしない。その代わり、繰り返し「考えること」の大切さを説く。
もっとも印象に残っているのは、『星の王子さま』を読み終えたあとの二人のやり取りだ。エシエンはまず、リベロにこう問いかける。
「王子さまはどうやって地球へ来たの?」
それに対するリベロの答えが、私は好きだ。
「何でも説明が必要とは限らない」
これこそが、物語の魅力であると思う。読者によって解釈や捉え方が変わる。その余白こそが、物語を味わう醍醐味なのだ。
続いてリベロは、エシエンにこう伝えた。
「肝心なのは、どうやったかより“何をしたか”ってことだ」
これは、物語だけでなく現実にも言えることであろう。プロセスはたしかに大事だ。だが、「何をしたか」もしくは「何をしようとしているのか」が肝心な部分だと私も思う。これは、“結果がすべて”という話ではない。ここで言う「何をしたか」とは、「何を成し得たか」とはまったく違う意味合いのものだからだ。