【福田村事件】「差別」が「正義」にすり替わり、言論が人命を奪った。根拠なきヘイト発言がもたらした悲劇を繰り返さないために、私たちが今知るべきこと

相手を虐げ、傷つけた自覚があるからこそ、恐れが生まれる

福田村事件の被害者は、10名にも及んだ。中には被害者を9名と報じている記事もあるが、殺害された被害者の1人は産み月を間近に控えた妊婦であった。胎児は、行商一行が待ち望んでいた命であり、希望だった。その命を「被害者人数」に含まないのは、道理に反している。そのため、本記事において、福田村事件の被害者は「10名」と記載する。

政府の先導や新聞の論調に乗せられ、不安を煽られての犯行とはいえ、一般人を理由なく殺した罪は重い。だが、有罪となった自警団8人全員が、昭和天皇即位による恩赦で釈放された。このような理不尽極まりない出来事があっても尚、被害者遺族は世間に向けて声を上げなかった。そのことからも、前述した同和問題の根深さが伺える。

人はなぜ、他者に銃口を向けてしまうのだろう。なぜ、明確な根拠もなく恐れを抱いてしまうのだろう。理由は人それぞれだろうが、根底に「無知からくる思い込み」や「無意識下に潜む差別感情」がある場合が多いように思う。

1910年の韓国併合以降、日本は朝鮮半島を植民地支配していた。関東大震災が起きた1923年は、日本人が朝鮮人を虐げていた、まさに只中であった。自国が行っている支配が「理不尽なもの」と自覚していたからこそ、当時の日本人は朝鮮人を恐れ、暴徒化したといえよう。

差別を助長する言論は、言ってみれば「言葉の凶器」だ。人の命や尊厳を奪うのは、竹槍や銃だけではない。「言葉」は、時に銃の弾丸よりも恐ろしい凶器となり得る。一発だけでは効かずとも、闇雲に拡散されるそれらは、ヘイト発言を蔓延させ、差別を生み出す。その先に待っている結末が「福田村事件」の終盤の場面につながっていることを、私たちは肝に銘じる必要がある。私たちは、もう二度と、この惨劇を繰り返してはならない。

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■福田村事件
監督:森達也
脚本:佐伯俊道、井上淳一、荒井晴彦
企画:荒井晴彦
企画協力:辻野弥生、中川五郎、若林正浩
撮影:桑原正
編集:洲崎千恵子
美術:須坂文昭
照明:臼井勝
音楽:鈴木慶一
出演:井浦新、田中麗奈、永山瑛太、東出昌大、コムアイ、木竜麻生、松浦祐也、向里祐香、杉田雷麟、カトウシンスケ、ピエール瀧、水道橋博士、豊原功補、柄本明ほか
配給:太秦

*1:大正関東地震の概要「関東大震災から100年」特設サイトより引用
*2:人権を問う 人権救済活動の最前線から(日弁連人権擁護委員会)より引用

(イラスト:Yuri Sung Illustration

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エッセイスト/ライター。エッセイ集『いつかみんなでごはんを——解離性同一性障害者の日常』(柏書房)刊行。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評・著者インタビュー『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『婦人公論』|ほか、小説やコラムを執筆。海と珈琲と二人の息子を愛しています。

エッセイ集『いつかみんなでごはんを——解離性同一性障害者の日常』(柏書房)
https://www.kashiwashobo.co.jp/book/9784760155729