【福田村事件】「差別」が「正義」にすり替わり、言論が人命を奪った。根拠なきヘイト発言がもたらした悲劇を繰り返さないために、私たちが今知るべきこと

「あんたら、実際にその目で見たんか」関東大震災の後、民衆を暴徒化させた流言飛語の正体

澤田夫妻が帰郷し、沼部たち一行が千葉県で商売をはじめた矢先、突如大きく大地が揺らいだ。時は、1923年9月1日。大規模災害と呼ばれる「関東大震災」である。関東大震災は、東京都、千葉県、神奈川県など首都圏を中心として震度6を観測した大地震だ(*1)。地震発生時刻が午前11時58分と昼食時に重なっていたため、調理中の家庭が多く、広範囲で火災が起きて被害が拡大した。死者・行方不明者は10万5千人余にのぼったという。

関東大震災が起きた直後、行政機関による虚偽事実の伝達があった(*2)。その内容は、「震災を利用し、朝鮮人が各地に放火し、井戸に毒を混入するなどの暴徒に出ている」などの内容であった。当時の警察組織のトップである内務省警保局長からの電報にも同様の内容が記されていたことから、関東近郊に住む日本人たちは自警団を組織し、朝鮮人に恐怖と敵意の目を向けた。

作中において、朝鮮人に対する恐怖と怒りを膨らませる村民たちに対し、村長の龍一はこう尋ねる。

「朝鮮人が火をつけたとか、井戸に毒を入れたとか、それをあんたら、実際にその目で見たんか」

龍一の問いに、村民たちは一瞬黙り込んだものの、すぐにこう応えた。

「見てはねぇけど、みんながそう言っているんだから(そうに違いない)」

自分の目で見てもいないことを、さも「自分が見てきた事実」かのように言いふらす。それを耳目にする人数が膨れ上がれば、それはやがて「みんな」の認識になる。いつの時代も、そうやってヘイトクライムが横行してきた。これは、令和の現代においても言えることであろう。SNSによるヘイトスピーチ、無知からくる差別発言、垂れ流されるフェイクニュース。数え上げればキリがない。

当時、日本国内に住む朝鮮人たちは、ただ「朝鮮人である」というだけで殺された。作中には、その構図に憤りを覚える新聞記者が登場する。しかし、記者の目の前でも、朝鮮人の女性が惨殺された。その事実を「書かせてくれ」と記者は所長に嘆願したが、所長は首を縦に振らなかった。新聞もまた、政府が定めた方向性の記事しか書けない時代だったのである。

「記者の見たことより、お偉いさんたちの噂を信じるんですか。新聞は何のために存在しているんですか」

記者はそう言い募り、1本の飴を所長の目の前に差し出した。真っ白い飴の中央が、赤く染まっていた。朝鮮人の女性は、朝鮮飴を売って生計を立てていた。彼女の血と泥がついた飴は、物言わぬ“真実”であった。

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S H A R E
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エッセイスト/ライター。エッセイ集『いつかみんなでごはんを——解離性同一性障害者の日常』(柏書房)刊行。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評・著者インタビュー『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『婦人公論』|ほか、小説やコラムを執筆。海と珈琲と二人の息子を愛しています。

エッセイ集『いつかみんなでごはんを——解離性同一性障害者の日常』(柏書房)
https://www.kashiwashobo.co.jp/book/9784760155729