庶民の出であるリュシアンは社交界のマナーを知らず、オペラ座で無作法を連発する。チケットなしで入場しようとし、ルイーズのいとこ・デスパール夫人の計らいで通されたバルコニー席からシャトレ男爵を見つけて「男爵がいますよ」と指を差す。あまりにも「なっていない」彼は、当然ながら貴族たちに冷笑される。ルイーズに想いを寄せる男爵も、「実は、彼は薬屋の息子なんですよ」とひっそり悪評を広める。
あの居心地の悪さを、ぼくは知っている。ぼくが日本名を使い始めるようになったのは、中学でいじめに遭って転校したことがきっかけだ。母に連れられ区役所に行き、通称名使用の登録をして、新しい学校では「日本人」のフリをして生活することにした。それでもやっぱり、随所で“違い”を突きつけられた。
たとえばお弁当。母に持たされたそれの中には、ときおりナムルや豚キムチが入っていた。パッキンを開けた途端、教室に充満するあの独特な匂い。「美味しそう!」と無邪気な歓声が上がるが、引き攣った笑みを返すしかできず、やがて母に「お弁当は負担だろうからいいよ、お昼代だけちょうだい」と告げ、コンビニか食堂で済ませるようになった。
正月や盆の過ごし方。いわゆる一般の日本人家庭でのそれを知らないために、休み明けは「なにしたの?」の質問に怯えていた。おせちなんて見たことすらなく、墓参りや法事の仕方も異なる。ボロが出そうで、下手なことは言えない。ホンモノの「日本人」じゃないから。適当に誤魔化しやがて話題が移るのを、ただひたすら待っていた。
リュシアンはぼくよりも純真で、かつ他者の眼差しに鈍感だった。貴族たちに鼻で笑われようとも、そんな自分を気にかけてくれる同年代の作家・ナタンが文壇に繋ごうとしてくれても、あっさり無視してルイーズの隣へ座り「あなたから離れません」などと脳天気に愛を囁く。しかしデスパール夫人に「サロンから通報される」と忠告を受けたルイーズは、リュシアンに幻滅し去ってしまう。
ルイーズの支援を喪い貧困に陥った彼はどうにかパリで生き延びる術を得ようともがき、カルチェラタンにあるビストロでウェイターの仕事を見つける。そこの常連である自由派の新聞記者・エティエンヌに「芸術を啓蒙したい」と申し出るが、あまりに無垢すぎるリュシアンの台詞をエティエンヌは鼻で嗤う。「俺たちの仕事は株主を裕福にすること。この世界では人に恐れられるか、無視されるかだ」と。この出会いをきっかけに、リュシアンはエティエンヌの勤める新聞社「コルセール」紙で執筆するようになる。