当時の夏目さんは、「障がいはがんばれば乗り越えられる」と信じていた。でも、その認識は間違っている。
障がいは、乗り越えるものじゃない。当事者にとってそれは、共に生きるしかないもので、常に隣にあるものだ。しかし、周囲は往々にして、「努力でどうにかなる」と思いがちだ。そこに歪みが生じ、信頼関係は崩れていく。
「障がいがあるということを、常に頭から離さないでください。大人になってください」
当時の夏目さんに対し、みかさんの母親は必死にそう訴えた。だが結局、みかさんやご家族が望む結果にはならなかった。その後、みかさんの母親が自宅で呟いた一言が、今でも胸に焼き付いて離れない。
「高校でもダメで、夏目さんの所でもダメだった。二度、ダメだった。もういい……もういいです」
もういい。
たった4文字に込められた思いの裏に、どれほどの叫びがあるのか。本当のところを知るのは、みかさんの母親だけだ。ただ、重い、と思った。障がい当事者だけではなく、家族が直面する現実は、こんなにも重い。
私自身も、障害者手帳2級を取得し、障害年金を受給している「障がい者」だ。
私が抱える障がいは、解離性同一性障害――いわゆる多重人格である。解離発作は突然起こる。一度解離すれば、数時間から数日、記憶が飛ぶ。そして、私はそれらを一切コントロールできない。
「努力していない」のではない。
「努力ではどうにもならない」のだ。
しかし、その言い分は、社会では悲しいほど通用しない。特に仕事においては、大抵の場合、結果がすべてだ。
いろんなことを諦めてきた。でもそれは、「諦めるしかなかった」だけで、本当は、諦めたくなかったことがたくさんある。手放したくなかったものが、今でも胸の中で無数に渦を巻いている。渦が暴れるたび、心と体に痛みが走る。
当事者や当事者家族が抱える葛藤は、なかなか周囲に理解してもらえない。
私とみかさんは違う人間で、抱える障がいもバックグラウンドも異なる。だから、すべてを「わかる」なんて言えない。ただ、似たような疎外感を何度も味わってきたのはたしかだ。
このエピソードを作品の色付けとしてではなく、ありのままさらけ出す決断をした夏目さんを、強いと思った。自らの過ちを、美談や武勇伝にする人はたくさんいる。そのほうが、自分が楽だからだ。しかし、夏目さんはそうしなかった。傷ついた側の痛みを正しく理解し、正面から悔いるのは、とてつもない勇気が要る。夏目さんには、その勇気があった。
「排除するのは簡単。でも、どうすればその人の“得意”を活かせるのかを考えたい」
もう誰のことも、置き去りにしたくない。そんな夏目さんの決意が、この言葉に滲み出ていた。