【すずめの戸締まり】随分と、悼んでいないから。

osanai すずめの戸締まり

九州の静かな町で暮らす17歳の岩戸鈴芽は、ある日、扉を探している青年・草太に出会う。彼の後を追い掛けて山中の廃墟で見つけたのは、古びた扉。その近くに、災いが潜んでいるとも知らずに──。
「君の名は。」「天気の子」の新海誠による3年ぶりの新作。企画・プロデュースは川村元気、音楽はRADWIMPSと陣内一真が務める。主人公の岩戸鈴芽役には、若手俳優の原菜乃華が抜擢された。

──

東京に住んでいる。

毎日、どこかで工事が行なわれている。スクラップ&ビルド。工事車両が好きな息子は喜んでいるけれど、7年前に引っ越してきた当時の景色を、僕はもう思い出せない。

急速に、街が入れ替わっている。

朽ち果て、「廃墟」として放置されていないだけマシだろうか。解体された場所はすべて、所詮は他人の所有物だ。開発され続けている街に対する一個人の懸念や批判など、何の影響力もない。声は届かない。届ける筋合いもない。

でも、そうやってシステムは、街を様変わりさせてきたのだ。良くも悪くも。行き過ぎた結果として、過去が急速に忘却されている。過去なんて、さも存在していなかったかのように。

*

人の命は、どうだろうか。

コロナ禍で亡くなった人たちのことを、僕たちは憶えているだろうか。ちゃんと悲しんできただろうか。

そのことに確信を持てずにいるのは、つい先日亡くなった親族のことがあるからだ。コロナ禍で葬式に行けなかったこともあり、僕自身、悼んだ実感が何となく湧かない。

叔父からは「暖かくなった頃に来なよ」と言われた。おうむ返しのように「近いうちに行くよ」と応えた。あれから9ヶ月経ち、僕は未だに、彼女の墓に手を合わせていない。

現世(うつしよ)に留まる僕と、常世(とこよ)へと旅立った故人。そのふたつを分かつものはあまりに大きく、想像さえできない。昔は、そのふたつは地続きであったはずだった。盆には故人が帰ってくるとされ、母方の実家では相応の儀式が行なわれていた。幼少期は理由も分からず手を合わせていたけれど、その行為自体に意味があるから、粛々と続けられていたのだと思う。

*

新海誠の3年ぶりの新作「すずめの戸締まり」でも、現世と常世を地続きで捉えるふたりの若者が登場する。主人公の岩戸鈴芽と宗像草太だ。

4歳のとき、東日本大震災で母親を失った鈴芽は、母親の残像を夢に求めている。夢で母に会おうとする鈴芽は、幻想的な常世にいる。会いたいと強く願う。その願いは祈りに変わる。涙を流すほど強く祈り、母親らしき者の声が聴こえた瞬間、夢から醒める。

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S H A R E
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株式会社TOITOITOの代表です。編集&執筆が仕事。Webサイト「ふつうごと」も運営しています。