そう、この作品に出てくる女性は、この構造の中で強かに生きている。
例えば分が悪くなったら微笑んでみたり、セックスして機嫌をとったり、無表情でi love youのテキストを送ったり、成長しなくてもやってこれた人への甘やかしも、神様にイイ男を願って自分たちを奮い立たせる振る舞いも。
そういうコトは身に覚えがありすぎて、目を瞑りたくなった。近い。こんな世界、別世界やんと感じる一方、鏡の前に立たされたようにも感じた。
友達間のランチで盛り上がるような口調で語られるこの超非日常は、それでも私にとってすごく身近であり、だからこそここまで共有されるストーリーになったのだと思う。
主人公の主体性を失わない様もすごく良かった。突然飛び込んだヤバい状況とそこに居着いている人たち、最初は一緒におしりを振ってノッてたゾラが、徐々に眉をひそめていって、恐怖の中でもその文化に「Not for me(私には合ってない)」の姿勢で知性を使う。視聴者が眉を顰めるとき、ゾラもまた眉を顰めて頭をフル回転させているのだ。
最高にきゃわである。正直私は、この映画で愛おしいと思えた存在はゾラしかいなかった。
しかしこの映画は、全ての登場人物にチャーミングさを残している。
ヤバい彼らもまた、徐々にそうなったのかな、と思えるような。
実際映画の中には@Stefamy、相手側からの目線で語られる、まあめちゃくちゃとも取れるシーンがある。とにかく私は悪くないの、と主張する、今までゾラから語られた物語とはパラレルワールドばりに違うその話は、なんだか小学校のときに喧嘩してる友達二人から相談を受けたときにお互いの話が食い違いすぎて何が事実なん?となった感覚と似ていた。あぁきっとゾラのツイートの裏で彼女もツイートしてたのかも、と思える、彼女が「ヤバい女」という記号ではなく、どこかで今も生きているのかな、なんて思いを馳せられる様な。
彼らにもゾラのように、日常の延長にこんな世界があるなんて、と想う瞬間があったのかもしれない。そして誰もが今回のゾラのような主体性が持てる訳では無いし、そこにはそれを日常としてる人たちがいて、そこに迎合する方が楽だったのではないか。人間の適応力は凄いから。
私も、今はZolaの旅路から帰って来れて、ヤバすぎ、といえる立場だけれど、1年後には私もそんなヤバい状況に身を置いている「ヤバい奴」かもしれない。
まあでも今のところはただいま我が人生、と投げキスのひとつでもしたくなっているような自分を大切にしよう。
新宿駅の駅員さんに、この間は放っておいてしまった当たり屋の特徴を告げにいこうと考えを巡らせながら、Spotifyプレイリスト「風を切って歩ける曲」の再生ボタンを押した。
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■Zola ゾラ(原題:Zola)
監督:ジャニクサ・ブラヴォー
脚本:ジャニクサ・ブラヴォー、ジェレミー・O・ハリス
撮影:アリ・ウェグナー
製作:エリザベス・ハガード、ヴィンス・ジョリヴェット、 デイヴ・フランコ
音楽:ミカ・レヴィ
衣装:デリカ・コール・ワシントン
編集:ジョイ・マクミロン
美術:ケイティ・バイロン
出演:テイラー・ペイジ、ライリー・キーオ、ニコラス・ブラウン、アリエル・スタッチェル、コールマン・ドミンゴほか
配給:トランスフォーマー
(イラスト:Yuri Sung Illustration)