──タイムリーなタイミングですね。
そこで初めて翻訳原稿を読んだのですが、そのときの感覚を今でも憶えています。
翻訳者・太田雄一朗さんの訳出が素晴らしかったということもありますが、為政者の演説はとても明快で、読んでいて気持ちが良いと思ってしまうほどでした。
特に、代表格のひとりであるペリクレスの演説は見事です。同時代に生まれていたら、きっと彼の演説に熱狂していたでしょう。戦争を肯定する演説に共感しそうになったことを恐ろしく感じましたし、それほどの説得力を持つ演説が2,500年前という事実も驚きです。人が戦争を選ぶ心理的な原則は変わらないのだと実感します。
──特に印象に残っている演説はありますか?
「個人のために国家があるんじゃなくて、国家のために個人がある」という言葉です。
長年の戦争や突発的な疫病によって、アテネの人々はたびたび戦意を喪失します。そのたびにペリクレスは、みんなを奮い立たせる演説をする。国が成り立たないと個人の生活も危うくなる──確かに自国の経済や利益を考える視点は必要だなと納得してしまったんです。
「島守の塔」でも、国家のために国民に戦闘を強要するシーンが描かれます。「日本のために、民間人もナタを取って戦え」というのは、ペリクレスの主張と全く同じ構造です。その考え方のせいで、多くの犠牲が出た点まで同じというのは、怒りを通り越して悲しくなります。
都市そのものが繁栄しているほうが、一部の市民だけが繁栄し、都市そのものは迷走しているより健全であるのは間違いない。個人が繁栄していても、都市そのものが瓦解しようとしているのであれば、いずれは個人も道連れになってしまうだろう。
(トゥキュディデス(2022)『人はなぜ戦争を選ぶのか』文響社、P114〜115より引用、太字は本書より))
反対に、個人が窮状におちいっていても、国家そのものが繁栄しているのであれば、個人が浮上する機会はいくらでもある。都市は個人の苦しみを背負うことはできるが、個人は都市全体の苦しみを背負うことはできない。
それゆえ諸君らは身勝手なふるまいをやめ、この窮状を終わらせるべく一致団結しなければならない。
──編著者のジョハンナさんとは、どのようなやり取りがあったのでしょう?
ジョハンナさんとのやり取りはほとんどありませんでした。原著の翻訳原稿は手元にありましたし、本編の構成にアレンジは加えていないので、直接やり取りする必要はなかったんです。
とはいえ、ジョハンナさんが編まれた意図を踏まえる必要はあります。
ヒントは、序章の末尾に記された「演説に実践的な人類の知恵を求める読者は、トゥキュディデスが生きた時代のアテネがたどった末路を、常に頭の片隅においてほしい」という言葉でした。
アテネは「民主主義の源流」と評価されることもありますが、実際は恐怖政治によって多くの人々の命が奪われています。アテネに批判的な視点を持っていたトゥキュディデスの意図を、ジョハンナさんも継承している。その思いを編集に込めるべきだと考えました。