【リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界】真実を伝えるということ

osanai リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界

トップモデルとして活躍していたリー・ミラーは、第二次世界大戦の脅威が迫る頃、パリからロンドンに移り住む。写真家としての仕事を得たリーは、「LIFE」誌の編集者に従軍記者としての取材を申し込むのだが──。
監督は「エターナル・サンシャイン」の撮影を担当したエレン・クラス。主人公を演じたケイト・ウィンスレットは、本作のプロデューサーも兼務している。

──

「真実を伝えることが大事」という言葉をよく聞く。”正しい”と思う。だけどわたしはこの「真実」という言葉にいつも身構えてしまう。

真実というものが一体何なのか、分からないからだ。「これが真実だ」と言い切れるものはわたしにとって多くないし、「真実だ」と外から突きつけられるものに限って、違和感を覚えるものも多い。

きっとわたしは「これは真実である」と瞬時に判断できるということが怖いのだと思う。分かりやすければ分かりやすいほどなにかを取りこぼしている気がするし、それを真実だと思えないとき孤独にもなる。

だけどそれはわたしが変なのかもしれない。世の中にはブレない真実がちゃんと存在していて、それをわたしが信じられていない、もしくは見抜けていないだけなのかもしれない。

だからこの物語を観ることになったとき、妙に緊張した。

物語の主人公であるリー・ミラーは、モデルから写真家に転身し、のちに従軍記者となり、危険を顧みず前線へ乗り込んでいく上に、ヒトラーの浴槽でポーズを決めて撮影するような人だ。

彼女はきっと、わたしと違って「真実」を見抜き、信念を持って伝えることができる強い人なのだろう。リーが伝える真実を、わたしは捉えられるだろうか。

日常は、ある日突然崩れ落ちる

物語は若い記者と、取材を受ける年老いたリー・ミラーが向き合っているところからはじまる。取材と言ってもそのやりとりは不毛だ。的を射ない回答に終始するリーは、記者を試しているようにも見える。

そこから回想シーンがはじまる。最初に映し出されるのはリーの派手な日常だ。
パリ特有の文化のもと、胸丸出しで食事会に参加するリーを見てびっくりしたり、タバコ吸いすぎじゃないかと思ったり、リーの友だち美人だなぁ、と思ったりする、とにかく外国らしい平和な映像が流れる。自由気ままにパーティーや恋をするリーの姿からは「勝ち組」「パリピ」という言葉が浮かんでも、「戦争」というイメージには結びつかない。

その空気は、あるシーンからすこしずつ濁りはじめる。ある日、リーが仲間と大きなモニターで映像を観ている途中、突如画面が切り替わり、ヒトラーが大衆に賞賛される姿が映し出されたのだ。(今思い出しても不気味な瞬間である)

映像を見て、リーは眉をひそめる。「人々は洗脳されている」「こんなことは続かない」と、それなりに危機を察するものの、この時点では他人事だ。その証拠に、“洗脳”から解放される手段として、「詩だ!」「芸術だ!」「ダンスだ!」と再び盛り上がってみせた。

だが、みるみるうちに状況は変わる。ヒトラーが台頭し世界を恐怖に陥れた。リーは「いつの間に」と言った。こちらには及ばないと思っていた世界線が、いつの間にか自分の世界にまで侵食し、戦争が現実になっていたのだ。

1 2 3
S H A R E
  • URLをコピーしました!

text by

フリーライター、エッセイスト、Web編集者、ときどき広報。沖縄に10年くらい住んでます。読書と短歌と育児が趣味。